揺れた満月への想いと揺るぎないママへの想い-育児と育メンの難しさを

【あ劇場©】へようこそ。
本日、2021年01月29日の晩婚パパの育児日記の主な演目は以下です。

移ろう想いとママへの不変の愛慕に育メン立場の難しさをまたも

本日は金曜日。音楽教室の習い事がある日。

それだけなら、いつもの金曜と変わらないのですが、今回は一昨日に家に電子ピアノが来てから初めての教室の日。

なにかしら、あおば(ウチの子供)にも「変化があるかなぁ?」と思っていたのですが‥ 今回も特に変化はなくいつもと同じ様子でした(苦笑)。

あおばは歌うことが大好きなので、「音楽教室へ行きたくない」と言うことはないのですが、その一方、教室から帰って来てから教室についての話しをすることもあまりありません。

それが《体育教室》であれば、

あおば
あ~ 楽しかった~!
今日はこんなことをしたんだよ~

と、自分から話しをしてくることがあるのですが、音楽教室に関しては話しをしてくることをあまりありません。

音楽教室は現在、“基礎をシッカリとやっている段階”。

「だから、そんな感じなのかなぁ?」と、捉えているのですが、実際のところはどうなのでしょうか?

子供の本心を知ることは、「難しいなぁ‥」と。

本日もまた、教室ではまだピアノに実際にふれることはなかったので、それで特に「話しをしたい!」とは思わなかったのかも。

でも、あおばはこれまで、“じっくり&しっかりと基礎を身に付ける” というタイプのコトに取り組んだ経験がほぼないので、「いい機会なのかもしれない」と感じています。

経緯を見守っていきたいと。

移ろった満月と温泉への想い

たまにあるのですが、昨日は珍しくあおばから、

あおば
明日は温泉へ行こうよ!

の発言がありました。

ママがさりげなく理由を確認したところ、温泉そのものが目的ではありませんでした。

どうも、トイレに貼ってるカレンダーにある「月の満ち欠け(中央標準時)」の印の満月マーク(= ◯マーク)に目がいき、

(※以下は、あおばの頭の中のイメージ図です)

あおば
あっ!明日は満月なんだぁ!

となって、さらに、

あおば
音楽教室が終わった後に温泉に行けば、その帰りに満月が見れるかも!

と、考えたようでした。

そのようなわけで、「あっ!」と思い立った昨日はもちろん乗り気で自分からそう言い出したものの‥ その気持ちが段々と薄らいできたであろう本日の夕方過ぎには、

あおば
温泉は別に行かなくてもいいや、というかやっぱり行くの止めよう。
月なら、別に温泉に行かなくても見れるし

となっていました。

子供の気持ちはホント、移ろいやすくて直ぐに変わってしまいますね(苦笑)。

でも、それでこそ子供らしい!と。

言ったこと(=過去)にとらわれるのではなく、「今!この時」に感じた気持ちに真っ直ぐでいて欲しい と思うので。

そして、親・大人の役割は、子供が素直にストレートに「今の気持ち」を表現することができるように、いつでも寛容的に「その気持ち」を受け止めてあげられる準備をしておくことだと思います

まぁ、正直たまに「難しいなぁ‥」とキツく感じることもありますが(苦笑)、頑張りましょう。

ということで、頑張ってきた甲斐があってか(?)、今のところウチのあおばは、「その時の気持ち」をいつも遠慮一切なくストレートに表現してくれています。

小学生も中学年から高学年になっていくにつれて、少しは遠慮を覚えてくれてもいいかもしれないけどね(笑)。

揺るぎることがないのはママへの想い

そんなあおばですが、『揺るぎることがない』こともあります。

それは唯一のことだと言って過言ではないと思います。

そう、それは『ママへの想い』 です。

もう、これだけは本当に不変。

いつもいつでもあおばは、“ママの味方” です。

本日は、僕がママのネットの使い方にちょっと “注文” を付けた場面がありました。

ママの使っているパソコンに不具合が出る原因の一因が、ママがネットを閲覧している時に複数のタブを開き過ぎて、メモリーを消費し過ぎることにあることを指摘したのでした。

晩婚あおばパパ
ママのパソコンの不調は、パソコンのせいではなくてママの使い方に問題があるんだよ

と。

すると、あおばが猛然と抗議してきました。

あおば
パパ!ママのことを怒らないで!!

と、物凄く大きな声で。

僕としては、全く怒ってなんかいなかったのですが。

怒気なんかは一切なく、ちょっと注意喚起をしただけだったのです。

ですが、あおばとしては、最近どうも「自分はママ防衛隊」的な気持ちがちょっと過剰に働いてしまっているようで‥ その点で、いささか自意識過剰な感が(苦笑)。

で、「少し調子に乗り過ぎているかなぁ?」と思い、

晩婚あおばパパ
パパは怒ってなんかいないよ。勝手に怒っているのは、あおばのほうでしょう。
そうやって、大声を挙げるほうがよくないんじゃないの!

と、いつになく、少しだけキツ目に言いました。

いつものように僕が「わかったわかった、ごめんね」というようなニュアンスの対応をするのだと思っていたのでしょう。

あおばは、思いがけない僕の対応にちょっと驚いた様子で、「シュン」として薄っすらと涙を浮かべていました。

ちょっと可哀想でしたが、タマにはこういう機会も必要だと。

あおば自身も、自分の言い方・態度に問題があったことに対しては自覚があったようで、反発をするようなこともありませんでした。

それでも、しばらくして「カラっと」した様子になってからは、「パパ、ママに(注意を)言う時はもう少し小さい声で言ってね」とお願いをされましたけど(笑)。

子供はいついかなるときも、ママの味方。

男親(育メン)は、その点を片時も「忘れてはいけないのであろう」と。

その自覚を常に持ち続けて、親同士として大人同士としてのママとの関係性を、子供が見ている前ではそのまま「素で出してはいけないよね」と、改めて思いました。

その面では「男(親)はつらいよ」かもしれないけど、その位のことは頑張らないといかんです、ね。

そんな感じで、揺れて移ろう子供の気持ちへの対応と、揺るぎないママへの想いへの対応という、両極端な(?)対応の必要性を強く感じさせられた日でした。

育児は、やっぱり骨があります。

一筋縄ではいかないからこそ、その点を楽しむ気持ちで、頑張っていきましょう。

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