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本日,2021年04月23日の晩婚パパの育児日記の主な演目は【自然公園でのオタマジャクシ取り】です。
本日は金曜日。
あおば(ウチの子供)が通っている《歌とピアノの音楽教室》の習い事がある日です。
本日は好天に誘われて,音楽教室で音符にふれた後に,近所の自然公園でこちらは生きている(笑)オタマジャクシを取ってきました。
地方移住・田舎暮らしの恩恵で徒歩圏内に手つかずの自然公園あり
一口に自然公園といっても様々なタイプがあると思います。
昨今では,ビオトープの概念を取り入れ,自然の生態系を人の手で(できるだけ)再現したタイプの公園施設も珍しくなくなってきたりもしてますし。
そうした試みもなかなかに素晴らしいとは思いますが,やはり本物の自然とは別物と感じてしまうのが正直なところ。
本物の自然は,人間が管理できるような生易しいものではありませんので。
その意味で,本物の自然には容易に人を寄せ付けない一面もあるものです。
で,地方移住をして田舎暮らしをしている我が家の近所にある “自然公園” は,文字通りでほぼ自然のまま。
都市部・都市周辺の自然公園であれば,かなりの程度は人の手が入り,人が普通に寛いだりできるように整備されている箇所もあると思います。
一方,田舎にある自然公園は別物です。
一応,人が歩けるような道はあり順路の立て看板などもありますが,そうした道もいつも人が歩けるわけではありません。
草が勢いよく伸びる季節になると,草木が生い茂り過ぎて道を防いでしまい,人が通ることが出来なく場所が何ヵ所もある。
自然公園というか,自然のまま公園。
いやむしろ,その昔に公園化の計画があった場所がそのまま放置され,いまや自然のままに近い状態なんだけど,順路の草刈りだけは年に数回だけ思い出したようにされている場所,といったほうが正解かもしれません(笑)。
いつ行っても,人は殆どいませんし。
いても地元の人ではなく,この辺りに管轄の都市名ではなく,もっと大きな遠方の都市部のナンバープレートが付いた車で来ているバードウォッチング愛好家の方々ぐらいです。
ですが‥ それぐらいでこそ “自然公園” という名前が相応しいように個人的には感じます。
自虐的ではなく(笑)。
というのも,“本物の自然” にふれることができるので。
自然公園で出会った本物の自然の例
本日,その我が家から徒歩で10数分ぐらいの所にある自然公園で出会った“本物の自然”の例をいつか挙げてみます。
- 野生の鹿の糞を色々な所で目にする
- 違う種類の羽が多数散乱している鳥同士が争った痕跡を発見
- キツツキが木を突いている音が聞こえてくる
などなどでした。
1)などは,本当に道を埋め尽くしているような箇所もあり,先に歩いていたあおばが戻ってきて
などと言うほどでした(苦笑)。
理由を尋ねてみると,
とのことでした。
昆虫も動物も大好きで,ミミズの死骸なども平気な顔して素手で手づかみするあおばですが,流石にあれだけの大量の糞にはちょっと戸惑いを感じたようでした(笑)。
2)は,あおばと一緒に歩いていた時に,綺麗な青色の鳥の羽が1つ落ちているのも見つけ拾って歩いていたところ,ちょっと先の小道の脇に鳥同士が争った痕跡らしき場所を見つけたのでした。
拾ったのと同じ色の羽が所々に散らばっていて,それより大きな違う色の羽(カラスかなぁ?)も同じように多数散らばっていました。
何か,野生の猛々しさに直にふれたような感じがありました。
自然公園にオタマジャクシを取りに行った際の様子
こちらの画像は、捕って来たオタマジャクシの水槽です(撮影は後日)。
前々から,
という話しはしていたのでした。
その1ヵ月ほど前に,ママが,
と誘った時は,「行かない」と言っていたあおばでしたが,オタマジャクシには好反応がありました。
食い気より,生き物に対する好奇心のほうが上なのですね(笑)。
それで,「じゃあ,いつにしようかなぁ」と考えていたところ‥ 「今日は,何かスゴク暖かいね!」ということで,気の向くままに本日の決行となりました。
音楽教室で音符にふれた後に,オタマジャクシにふれるのも「また面白いかなぁ?」と感じたこともあり(笑)。
最近,日が落ちるのもだいぶ遅くなってきたこともあり。
そんなこんなで,音楽教室でのレッスンを終え,ママと一緒に車で帰宅するあおばと,公園の前で合流しました。
公園内に入ると直ぐに,シジュウカラが「ツピィ~ツピィ~」とお出迎えを。
それもあり,あおばのテンションは直ぐにアップしたようで,1人で凸凹の土の道をタタタタタァ~と駆けて行ってしまいました。
外出している時に「楽しい~」と感じると,いつも1人でドンドン駆けて行ってしまうのです。
でも途中で,
と言って待っていました。
というのも,先でもふれたように,この公園は本当に自然なままなので,来る度に毎回景色が変わるから。
僕は一昨年にオタマジャクシを飼った際に,元々彼らがいた沼の水や食べ物となる小生物が潜んでいる泥を採取するために何度もこの公園に足を運んだので,道順を覚えています。
ですが,あおばはそれほどは通っていないので,ちょっと自信がなかったようでした。
この体験1つを取っても,それだけ表情が劇的に変わる “生の自然の豊かさ” を感じることができたのではないかと感じました。
そんな豊かさの残るこの自然公園ですから,もちろん! オタマジャクシは簡単に取れたのでした。
ということで,本日は,家の近所にこんなにも豊かな自然環境が在り,子供の養育面で本当に恵まれている《田舎暮らしの贅沢さ》を,改めて感じた出来事があったのでした。