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本日,2021年05月03日の晩婚パパの育児日記の主な演目は【「機会・体験・多様性」の学び】について。
あおば(ウチの小学3年生の子供)は,超を付けてよいほどのインドア派。
普段の土日の休みは,僕ら夫婦が「外へ出掛けよう」と誘っても,
ということもシバシバ。
そんなあおばが,珍しく(?)自分のほうから「外へ出掛けよう!」と。
やはり,GW(ゴールデンウイーク)の大型連休は子供の気持ちにも変化をもたらすようです。
そして,あおばの気持ちの変化をキッカケとして,次の3つの大切さを改めて感じた1日となりました。
- 特別な気持ちを喚起する『機会』
- 本物にふれる『体験』
- 違いの価値を知る『多様性』
特別な機会は特別な気持ちを喚起する『機会』の大切さを実感
これまで当ブログでは,あおばがインドア派ということについて度々ふれてきました。
試しに,当ブログの最上部右側にある “検索窓” に《インドア派》のワードを打ち込んだところ,“16件” の記事がヒットしました。
やはり,結構な数でしたね(笑)。
とはいっても最近は,特に小学校3年生に進級して以降は,だいぶ変化が出てきて,休日に外出することに対しての積極性も増してきていますが。
それにしても面白いもので,習い事などはほぼ何でも,
と積極的なのに,休日は結構家に居たがるのです。
そのユニークがあるからこそ,《インドア派》にふれた記事数が“16件”にもなってしまうのですが(笑)。
そんなあおばをして,
と言わしめさせてしまうのですから,《ゴールデンウイーク・大型連休》の特別さ加減はやはり「スゴイ!」の一言。
というか,今回はその『特別さ』というものが,《ゴールデンウイーク・大型連休》というモノだったのだと。
ここのところ,当ブログで本当に頻繁にふれている《小学校3年生への進級》というのも,あおばにとっては本当に『特別な機会』だと感じています。
要するに,大型連休というモノが大切というわけではなく,そうした『特別な機会』というものが「大事なのだ」ということです。
本日は,あおばのあまりない言動にふれ,その大切さ・大事さを改めて実感したのでした。
様々な『機会』を与えることがとても大切なコトであることを。
自然=本物にふれて『体験』することの大切さを実感
そして,『体験』することの大切さを改めて感じたのは,公園までの行きの車の中での出来事によります。
行きの車の中で,あおばの発案により久しぶりに “古今南北ゲーム” をやりました。
公園に春の花や草木をみに行く。
何回かゲームが進み,ママがゲームのお題を決める番となった時,ママはその目的に則してお題を「春の花」としました(さすがママ!よい選択センスです)。
普通の古今東西ゲームはお題(テーマ)に対する回答を思いつかなかった人が負けとなりますが,古今南北ゲームではそこに “NGワード” が加わります。
“NGワード”はゲーム参加者一人ひとりが設定をし,メモなどに書いて他の参加者には伏せておきます。
古今東西ゲーム同様にゲームを進めていく過程で,回答できなかった場合に加えて,回答として“NGワード”を言った場合も負けとなるルールです。
ちなみに,このゲームの考案者はJAGA(日本ゲーム協会)の小林名人とのことです。
で,最初の3~4周は皆それなりに花の名前を挙げることができたのですが,NGワードを避けようとすると,それ以降は全員 “なかなか名前が出なくなって” しまいました。
ところが‥ いざ,公園に着いてみると,色々と本物の花が咲いているのです。
その姿を目にして,「そうだよね。この花もあの花もその花も春の花だよね・・」となってしまったのでした(苦笑)。
そしてそれを機に,僕だけでなく,あおばもママも,
となったのでした。
本物にふれることで,今回は本物の自然に,刺激を受けて脳も活性化したようでした。
だからこそ,子供には様々なことを「体験」させてあげることがとても大切である。
そのことを,改めて強く実感させられました。
違いの価値を知る『多様性』を感じることの大切さを実感
もう1つ感じた大切なコトは,『多様性』を感じることと『多様性』の価値を知る・理解すること。
違いがあるからこそ,それぞれによい点があることを,感じたり知ったりできる。
それは,違いを「体験」することで理解することができる点でもあります。
だからこそ,子供たちには,様々なことを体験させてあげるべきです。
本日具体的に感じることができた『多様性』は,公園の質の違いについてでした。
本日行った公園は,人の手が入っている庭園的な部分と,ほぼ自然のまま手つかずで大きな岩が剥き出しでゴロゴロと転がっている部分が混在しているというタイプのちょっとユニークな公園でした。
こういうタイプの公園は,都市部の公園ではお目にかかることができないと思います。
都市部の公園は,隅々まで人の手が入っていることが殆どだと思いますので。
こういうタイプの公園に出会えるというのも,“地方移住をして田舎暮らしをしている2 ことの恩恵だと感じます。
さて,こちらの公園では,人の手が入っている箇所で,ある狭い範囲内で様々な花や草木をまとめて観ることができました。
一方,人の手の入っていない箇所では,所々に少しずつ花が咲いているのを見ることができた程度。
そして,草木は,所々である程度決まった種類がまとまって茂っていて,そうした島的な状態がパッチワーク的に点在している様を見ることできました。
ある狭い範囲に,様々な花や草木が混在している姿は,自然のままの状態においてはあまりお目にかかることはありません。
逆に言えば,《里山》という環境は,人の手が入っているからこそ,その環境が保たれている。
手つかずの自然は本当に貴重なのですが,《里山には里山ならでは》の価値がある。
手つかずの自然と町・都市の間には里山が存在し,それぞれのいずれにも異なる価値がある。
本日はそうした多様性を,1つの公園の中に感じることができました。
プラス,約10日前に行った我が家の近所の自然公園は,より “自然そのままの状態” の公園なので,本日の公園との違いを,あおばもだいぶ感じていたと思います。
そして,それぞれの違いに,それぞれの価値を感じてくれているのではないかと思います。
もし仮に,今はまだ,その価値の違いを意識として明確に感じていなかったとしても,それを身体で感じた『体験』は本人に確実に残っています。
そうしたことを,子供の内に沢山『体験』しておくことが後々の財産・宝物になってくるはず。
本日は,自分自身でその機会を作り出したあおばを,「褒めてあげたい」と感じました。
プラス、おまけにもう一言。
インドア派でいることも決して悪いコトではないけど,外に出ることもいいものだよ(笑)。