後の予定を忘れ「いま目の前」の習い事に夢中になる子供に「生きる極意」を学ぶ?!

【あ劇場©】へようこそ。
本日,2021年05月08日の晩婚パパの育児日記の主な演目は【子供の真っ直ぐな生き方は=足し算の時間?】です。

本日は土曜日。休日なので,あおば(ウチの子供)は,家から少し遠いお気に入りの図書館へ「行きたい!」と言っていました。

だったのですが,土曜日に不定期で参加している習い事の生け花教室へ行くと,そのことをスッカリ忘れてしまったようでした。

これって,正しく「いま目の前」の時間に生きているということ!と感じました。

子供は「いま目の前」の時間=足し算の時間を生きている?!

「いま目の前」の時間を懸命に生きる。

その大切さについては,近年様々なところで言われています。

あの林先生の決め台詞もその1つでしょうし(笑)。

ですが,そのことが “とても大切” だということが分かっていても,私たち大人ってそのように生きることがなかなか難しいものです。

(その難しさの理由の核心は,後述の美学者の伊藤亜紗さんのお話しの章の箇所にて)

ところが,子供はその “大切なこと” をいとも軽々と日々実践しています。

ということは,大人はそれを,《子供たちから学ばないといけない》 ように感じます。

まぁ逆に,子供にとっては,“予定を立てる=引き算の時間”ということが難しわけなのですが。

予定を守ることは,社会の中で生活をしていく上で確かにとても大事なことではあるのですが,得てして私たち大人は,この予定に縛れ過ぎていて,必要以上に自分達自身で自分達の首を絞めてしまっているように思います。

予定という引き算の時間に縛られている私たち大人は,足し算の時間と引き算の時間のバランスをもっと上手に取れるようになるために,足し算の時間を生きる子供たちの姿から学んだ方がもっと楽にシンプルにスムーズに自分らしく生きていけるのではないか?

と,改めて考えさせられる出来事が本日はありました。

具体的には,あおばの習い事とその後に予定していた図書館へ行く件なのでした。

引き算の時間=予定は「習い事を1時間未満で終え図書館へ行く」でした

本日は,あおば当人が

あおば
今日は(お気に入りの)図書館へ行きたい!

と言っていました。

そのお気に入りの図書館とは,我が家の隣の市にあるホームグランド的な図書館ではなく,更に先のより大きな市にある新しい図書館のこと。

その図書館は新しいので蔵書が綺麗ですし,大きな街の図書館だけあって選書の質も良質なのです。

ですが,我が家からは車で片道1時間程かかるため,メインの図書館としては利用していません。

やはり,ちょっと遠いので(苦笑)。

ちなみに,ホームグランド的な隣の市の図書館は車で30分弱です。

ということで,そちらのあおばのお気に入りの図書館へ行く場合は,車での往復時間だけでも2時間以上は掛かるので,その図書館へ行く場合は,基本的にお昼前後から午後の早目の時間に家を出るようにしています。

ところが,本日はあおば当人が「行きたい!」と言い出したにも関わらず,家で他の遊びをすることを結局優先して(=足し算の時間を生き),習い事へ行くのが遅くなりました。

本日の習い事の生け花教室は,先生のご好意で好きな時間に行ってよいことになっています。

それもあって,あおばは,教室へ行く時間をズルズルと後にずらしてしまうデメリットもあるのですが(苦笑)。

で,本日も例によって(?)教室で行くのが遅くなってしまったので,図書館へ行くためには次のような「予定」を立てたのでした。

今日は(に限っては)教室の時間は1時間未満で切り上げ,その後直ぐに図書館へ行く。
その予定に関しては,あおば本人も納得していました。

なにせ,「図書館へ行きたい!」のは,あおば本人でしたので。

ちなみに,本日の生け花教室は “フリー参加”の形式なので,教室の参加時間は特に決まっていない形でした。

その場合,早い時は40~50分程で終わることがこれまでも何度かあったそうなので(ママ談),本日はあおばが自分で参加時間をコントロールして,早く切り上げる予定でした。
ところが‥ いざ蓋を開けてみると,なんと2時間近く!!も参加してきました。

僕ら夫婦は予定通り,あおば教室から戻るや直ぐに図書館へと急いで行く予定でしたので,教室の前に車を止めて車の中でず~っと待っていたのでした。

さて,2時間近く経った後,戻ってきたあおばは,思う存分に教室での時間を楽しんできたようで,とても満足気な表情でした。

もう,図書館へ行くという「予定」のことは,スッカリ頭から消えていたようで(笑)。
(大分前から「今日はもう諦めよう」と決めていたこともあり)
その満足気な表情をみて,その全く悪びれていない様子をみて,こちらも清々しさを感じてしまったほどでした。

そしてむしろ,「本当に,いま目の前を生きているんだなぁ」と妙に感心させられたのでした。

美学者の伊藤亜紗さんが提唱している「足し算の時間と引き算の時間」とは

先にも少しふれましたが,この章では,東京工業大学 科学技術創成研究院『未来の人類研究センター』 センター長でもある美学者の伊藤亜紗さんが提唱されている「時間論」について,伊藤さんの運営されているサイトから一部を抜粋・引用させていただきました。
引用元URL(上掲の画像も同様):
http://asaito.com/research/2018/12/post_53.php

~前略~
テーマは時間について。時間は生理的なものと社会的なものが交差する場所。前者が生まれたものを積み上げていく足し算方式なのに対して,後者は締め切り逆算型の引き算方式を要求する。足し算の答えと引き算の答えをいかに合わせるかが社会的に生きていくうえでは必要なわけだけど,そもそも引き算にはかなり無理がある。~後略~

~前略~
伊藤 時間のことを考えていくと,社会的なものと生理的なもの複雑な関係が見えてきて面白いですね。社会的なものは引き算可能な均質な時間を前提にしているけど,生理的なものは足し算系で先が読めない。でも両者は単純に対立するものというわけでもなくて,社会的な場面に立つことで,仮の時間というか,自分でそうだと思っていた生理的状態とは違う状態にもなったりするわけですもんね。~後略~

足し算の時間は生理的なもの。

引き算の時間は社会的なもの(=社会から要請されるもの)。

時間には,その「2つの種類がある」という見方。

その捉えて方は,とてもユニークで示唆に富むものがある,と思います。

引き算の時間を忘れて足し算の時間を満喫する子供からの学び

上述の伊藤亜紗さんのお話しは,以前観た NHKの SWITCHインタビューに出演されていた際にも話されていた内容でした。

僕はその番組を観て,伊藤さんの時間論に感銘を受けたわけでした。

その際も,この話しって,「子供特有の時間の感じ方と共通点がスゴクあるな」と感じたのでした。

そんなこともあり,本日のあおばの,引き算の時間=逆算型の引き算方式で立てた「予定」を気持ちいいほどスパッと忘れ去っていた姿に,その話しを思い出したのでした。

そして,その姿にある意味,「生きる極意」があるように感じたりも。

本日の習い事,後の予定をスッカリ忘れるほど楽しく過ごせて良かったね,あおば!

そして,「いま目の前」の時間を楽しみ切る,その真っ直ぐな姿勢は,とてもカッコよく映りました。

広告