引き算の時間(=予定)より足し算時間(=今)優先は本日も!でも予定も実行しました

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本日,2021年05月09日の晩婚パパの育児日記の主な演目は【子供は「今」を生きる】です。

本日の育児日記は昨日の続編的な内容。

あおば(ウチの子供)は昨日,本人の希望で図書館へ行く予定を立てていたのですが,その予定の前に行った習い事教室の内容に夢中になってしまい,習い事に当てた時間を大幅にオーバー。

結果,昨日は図書館へ行くことができず,その予定は本日に延期となりました。

で,本日はどうだったかというと・・

やはり子供(小3)は足し算の時間を生き,引き算の時間とは縁遠いよう


画像引用元URL:
http://asaito.com/research/2018/12/post_53.php

足し算の時間は生理的なもの。
引き算の時間は社会的なもの(=社会から要請されるもの)。
時間には,その「2つの種類がある」。

この,《時間には2つの種類がある》という見方は,東京工業大学 科学技術創成研究院『未来の人類研究センター』 センター長である美学者の伊藤亜紗さんが提唱されている「時間論」になります。

その詳細については次章に譲りますが,ここでは2つの時間があり,子供と大人とでその時間の使い方が異なり,子供は主に《足し算の時間》の中に生きていることについてふれたいと思います。

上掲の画像を見ていただくと,足し算の時間と引き算の時間のイメージは,分かりやすいと思います。

そして,子供が主に足し算の時間の中に生きているということも,すんなりと納得がいくのではないでしょうか。

冒頭でもふれましたが,昨日,あおばは「図書館へ行きたい」と自ら提案をしてきたのでした。

そのためには習い事を40~50分ぐらいで切り上げる必要がある,そのスケジュールについては本人も納得をしていたのでした。

ところが,いざ習い事の教室へ行くと,予定の倍以上の2時間程の時間を費やしてしまい,図書館へは行くことができなくなってしまったのでした。

昨日の様子については, こちらの昨日の記事をご覧ください。
後の予定を忘れ「いま目の前」の習い事に夢中になる子供に「生きる極意」を学ぶ?!

ということで,本日はその昨日の反省点を本人もある程度は「意識するかな?」と思っていたのですが‥ これまた蓋を開けると,そうでも「ない」という結果になってしまいました(苦笑)。

昨日の反省も踏まえ,今朝はママが,

あおばママ
今日は午前中のうちから,図書館へ向けて出発しましょう

と言っていました。

それに対してあおばは,

あおば
は~い!

と,とても素直な返事をしていたのでした。

ところが‥ やはり‥ 午前中から読書をしたり,「ぱっ」と思いついた遊びをしたりと,縦横無尽に「今」を楽しみ放題(笑)。

結果,本日も出発準備はズルズルと遅れました。

昨日,図書館へ行けなかったことに対する後悔などは,結局のところほぼ皆無のようでした(苦笑)。

小学校も高学年になれば変わってくるかとは思いますが,中学年に入ったばかり=小学校3年生になったばかりの今の段階だと,《引き算の時間=予定を念頭に逆算した時間を生きる》ということはまだ時期的に早いようです。

もちろん,全く出来ないなどというわけではありません。

ですが,夢中になってしまえば《引き算の時間》は何処かに飛んでいってしまいます。

また,やっぱり《足し算の時間》を優先してしまいがち,ですね(笑)。

「足し算の時間(=今)に徹し引き算の時間(=予定)を増やさない」が子供のため?!

さて,そうはいっては,本日は《引き算の時間》もある程度・・・・は考慮して行動をしてくれました。

そのため,午前中の出発とはならなかったものの,午後の早い時間のうちには何とか出発をすることができました。

プラス,他に予定を詰め込まなかったこともあり,本日は比較的時間に “ゆとり” を持つことができました。

子供がまだ年齢的に,《引き算の時間=予定を組み込んだ時間》の中で行動をすることに順応できていないうちは,「予定」はあまり入れずに,《足し算の時間=いま目の前のことに没頭する時間》のみを楽しむことに徹する。

それが,子供と一緒に楽しく有意義な時間を過ごすための1つのコツ,と感じます。

足し算の時間(=今)に徹した具体的な効果

そのような感じで,本日は“ゆとり”を持つことにより,以下のような具体的な効果があったように感じました。

  1. “ゆとり”があったため,いつもとちょっと違うドライブコースを取ってみた
  2. “ゆとり”があったため,あおばはいつもと違う棚もみてみたそう

1)の効果として,ポニーが数頭飼われている場所の横を通ることができ,あおばとママが「あっ!ポニーがいる!」と一緒に喜んでいました(笑)。

あと,おまけ効果として,天気も良くいつもと違うルートが新鮮であったこともあってか? かけていた『嵐』のCDの曲でちょっとしたお楽しみをしていました。

あおばはママの影響で去年の夏頃から嵐の大ファンになったのですが,その関連で遅ればせながら1ヵ月前ぐらいに,《貴族探偵》のドラマのDVDを一気に観ました。

それ以来,スッカリ《貴族探偵》にハマッてしまっているあおばは,ドラマの主題歌の『 I’ll be there 』のほうもとても気に入っていて,今日は連続で5回以上も同曲をリピートして楽しんでいました(笑)。

2)の効果として,あおばがこれまで自分ではあまりセレクトしたことがなかった中学生向けの本を選んだりもしていました。

また,僕が以前からあおば向けとして「図書館にないかなぁ?」とチエックしていた本をあおば当人が見つけて借りていました。

それも,これまではあおば本人はあまりチエックをしていなかったようである《本日返却された本コーナー》に,あったのを見つけてそうです。

ちなみに,その本は『絵本 はたらく細胞』副題:《ばいきん VS 白血球たちの大戦!》です。

美学者の伊藤亜紗さんが提唱している「足し算の時間と引き算の時間」とは

さて,そんな感じで,小学校3年生の子供にとっての《足し算の時間と引き算の時間》のあり方をみてきました。

話しの流れの中で,それぞれの時間の捉え方のイメージは十分に伝わっているとは思いますが,以下でいま一度,その内容を提唱者の伊藤亜紗さんのサイトから確認をしておきたいと思います。

以下では,東京工業大学 科学技術創成研究院『未来の人類研究センター』 センター長でもある美学者の伊藤亜紗さんが提唱されている「時間論」について,伊藤さんの運営されているサイトから一部を抜粋・引用させていただきました。
引用元URL(上掲の画像も同様):
http://asaito.com/research/2018/12/post_53.php

~前略~
テーマは時間について。時間は生理的なものと社会的なものが交差する場所。前者が生まれたものを積み上げていく足し算方式なのに対して,後者は締め切り逆算型の引き算方式を要求する。足し算の答えと引き算の答えをいかに合わせるかが社会的に生きていくうえでは必要なわけだけど,そもそも引き算にはかなり無理がある。~後略~

~前略~
伊藤 時間のことを考えていくと,社会的なものと生理的なもの複雑な関係が見えてきて面白いですね。社会的なものは引き算可能な均質な時間を前提にしているけど,生理的なものは足し算系で先が読めない。でも両者は単純に対立するものというわけでもなくて,社会的な場面に立つことで,仮の時間というか,自分でそうだと思っていた生理的状態とは違う状態にもなったりするわけですもんね。~後略~

足し算の時間は生理的なもの。

引き算の時間は社会的なもの(=社会から要請されるもの)。

時間には,その「2つの種類がある」という見方。

その捉えて方は,とてもユニークで示唆に富むものがある,と思います。

さて,僕としては,今回の土曜日・日曜日の2日間のあおばの言動を通して,次のことを感じてきたわけでした。

小学校3年生=8歳の子供にとっての《足し算の時間と引き算の時間》という2つの種類の時間のあり方。

そして,今のところの結論は, 以下のような感じでした。

小学校3年生の子供は足し算の時間を生き,引き算の時間とは縁遠いようである。

と書いたりしましたが‥

あおば本人は,

あおば
そんなことないよ。引き算の時間にだってちゃんと接しているよ

と,言いそうな気もします(笑)。

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