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本日,2021年07月31日の晩婚パパの育児日記の主な演目は【初心者の子供(小3)との将棋の印象「本将棋の難しさは『作文』と似てる?」】です。
本日は久しぶりに,あおば(ウチの小3の子供)と様々なスタイルの将棋をしました。
「本将棋」に「はさみ将棋」に「回り将棋」に「城将棋」と,何種類もの将棋を。
もちろん,回り将棋や城将棋はとってもスムーズに楽しみました。
ですが,本将棋では自分がかなり優位な状態になっていても,
と,かな~り優柔不断な状態に(苦笑)。
「あれっ?」この姿は最近どこかで見たな,と。
「おっ?」この “決めかねて苦戦している感じ” は,この間の進研ゼミの《作文チャレンジ》に取り組んでいた時と似ているな,と。
指し手の自由度がスゴク高い『本将棋』と,書く内容の自由度がこれまたとても高い『作文』。
これって,もしかしたら‥ 《自由過ぎて難しく感じている?》と思ったのでした。
「本将棋と作文」は似ていて「はさみ将棋と記述問題」も似ている?!
子供は「真似」の天才です。何でも「真似」をすることで覚えていきます。
でも,そのことは裏を返せば,「真似」する見本がない場合には「どうする?」ということになるのかもしれません。
「何でもあり」は「何をすればいいの?」に。
大人になるとそれまでの様々な経験をしているので,それらを基に「この時にはこのパターンで」という《自分なりのスタイル》を自然と身に付けているのでしょう。
そして,そのスタイルでコトを進められない場合には,逆に窮屈さを感じて「自由度が欲しい」と思うのだと。
それが,経験値が絶対的に不足している子供の場合は,まるっきり違う感じかたをするのでしょうね。
考えてみれば,小学生の子供が《自分なりのスタイル》などというモノを持っていないのは当たり前のこと,でした(苦笑)。
自分も含め,大人ってそのことを「ついつい忘れてしまいますね・・」。
その,つい忘れてしまいがちな観点に立ち返ってみると,子供が苦戦しがちなモノゴトに “ある共通点” が「ある」ことに気がつくのでした。
子供にとっては
風通しはよくない
ということに。
その観点に立っと,将棋における自由度の度合いと,子供が感じる難しさの度合いが正比例することが改めてハッキリします。
- 自由度が高い :本将棋 → 子供にとっては難易度大
- 自由度は中程度:はさみ将棋 → 子供にとっては難易度も中程度
- 自由度が低い :回り将棋 → 子供にとっては難易度も低
この関係性を今度は,《国語の教科》に当てはめてみます。
- 自由度が高い :作文 → 子供にとっては難易度大
- 自由度は中程度:記述問題 → 子供にとっては難易度も中程度
- 自由度が低い :選択問題 → 子供にとっては難易度も低
「本将棋と作文」は似ている。「はさみ将棋と記述問題」も似ている。
そして,自由度が低いというか,明確な『答え』というモノがあり,それを選ぶという形式の選択系の問題こそ,「取っ掛かりがつき易い」ということになると思います。
そうすると,本日の我が家の場合は「回り将棋」であったのですが,これを「詰め将棋」に置き換えると,よりイメージが明確になりますね。
もちろん,その場合は手筋・手順の簡単な「詰め将棋」ということになります。
難しい詰め将棋だとはさみ将棋なんかより遥かに難しくなってしまいますので。
《決まった答えがある》という点こそが,子供にとってはアプローチがしやすい点 になるのだと思います。
おわりに
本日,あおばと久しぶりに将棋をしたのは,あおばが先日図書館から「将棋」関係の本を借りてきていたからでした。
最初に将棋の本を図書館から借りてきたのは,たしか幼稚園の年中の時だったので,かれこれもう3~4年前になります。
それから何回か,たまに思い出したように将棋の本を借りてくるのでした。
ですので,きっと潜在的にず~っと将棋に対して興味を持ち続けてはいるのだと思います。
ですが,親の僕のほうが将棋の教え方を分かっておらず,また,本日当記事にて考えたことのような観点をこれまで持っていなかったため,どうもこれまで本人の興味をより広げるまでには至っていなかったのでした。
もっとよい師匠(?)に巡り会えていたなら,もっと早い段階で将棋への興味も「グッ」と広がっていたのでしょうね,きっと(反省‥)。
次に一緒に将棋をする際には,本日感じた点を反省点として活かしたいと思います。
また,一緒に将棋をやろうね,あおば。
当記事の冒頭でふれた次の点,
「この間の進研ゼミの《作文チャレンジ》に取り組んでいた時と似ているな,と。」
の内容の関連記事は, こちらになります。
よかったらご覧ください。