廃車手配で親子の違い-親はリモートワークの恩恵。子は寂しいお別れに

【あ劇場©】へようこそ。
本日、2021年10月16日の晩婚パパの育児日記の主な演目は【廃車手配で親子の違い-親はリモートワークの恩恵。子は寂しいお別れに】です。

本日は車の廃車の手続きに、ウチの小学3年生の子供の「あおば」と共に、馴染みの板金屋さんへ行ってきました。

その板金屋さんがあるのは、あおばが幼稚園卒園までに住んでいた隣町。

我が家から板金屋さんへ行く道を久しぶりに通ったこともあり、幼稚園時からお世話になっていた車とのお別れに「一抹の寂しさ」を感じていたようでした。

車の廃車は親からするとリモートワークの恩恵

我が家はこの1年ほど車を2台保有していました。

以前は、仕事の通勤用も休日の自家用も同じ一台の車を利用していたのですが、あおばが小2となり新しい《習い事》も始めることにしたことをキッカケとして、もう1台車を所有することにしたのでした。

なにせ田舎で子育てをしているので、《習い事》の教室も小2・小3の子供にとっては自転車で通える距離には選択肢がないので(苦笑)。

田舎暮らしでの田舎子育てには、ほぼ「メリット」しか感じていないのですが、車が不可欠な点に関しては「デメリット」を感じざるを得ないのが正直なところです。

ですが! そうした状況にも変化が訪れました。

コロナ禍の数少ない「メリット」の1つの《リモートワークの普及》のおかげで、ほぼ通勤専用の車を持つ必要がなくなりました。

通勤からの解放=リモートワークの普及は本当に、コロナ禍状況によるニューノーマルの数少ないメリットですね

何事もメリット・デメリットのどちらか一方だけということはなく、両方の側面を持っているものです

ということで、その恩恵があって、親の目線からすると税負担の大きい車2台の所有からめでたく開放されることになったのでした。

まあ、田舎暮らしなので駐車場の負担は1月当たり僅か500円程度だったのですが(笑)。

そのような感じで、僕個人としては昨年中古で購入した新しい「3ナンバー」の車より、今回廃車にすることとした小型自家用車のほうが好みなのですが、子供の成長と共に活動範囲が広がり活動内容的にもキャンプなどの荷物が沢山積めるとよいことを始めたこともあり、やはり長くお世話になった車のほうを廃車とすることになったのでした。

車の廃車は子供からすると寂しいお別れ

今回、車を廃車とした理由は親の立場からすると、前述のように理由があったのでした。
そうすることをママが、あおばに初めて話した時のあおばの反応は、

あおば
えぇ~ なんで~ 可哀想だよう・・

でした。

昨年我が家に来た新しい車は大型で黒っぽい色をしていることもあってか、子供のあおばもその車に対しては特に愛称をつけてたりはしませんでした。

きっと「ゴッ過ぎる」イメージなんでしょうね。

一方、今回廃車にすることにした車のことは、「車種名+ちゃん」と「ちゃん付け」で呼んでいました(笑)。

その小型車が持つ可愛らしいイメージに対して、子供心からすると思わず「擬人化」をしてしまっていたのでしょうね、きっと

と書いていて‥ その呼称は「ママ発」だったような気もしてきたなぁ、やっぱり(苦笑)。

いずれにせよ、「ちゃん付け」に違和感を感じないから「ちゃん付け」をしていて、そのことが擬人化イメージにつながっていたのかと。

だからこそ、「可哀想だよ」との言葉が出たのだと思います

ですが、実際に新しい車を購入した以降、家族で出掛ける際はいつも大型の車の方を使っているので(燃費は悪いのですけどね‥でも、外遊び用の荷物を色々と入れておいておけることもあり)、長くお世話になった小型車の方が不要になっていることには理解を示してはくれたのでした。

おわりに

本日は、上述の小型車の廃車手配の当日でした。

子供の養育環境のことを吟味して、現在の地域での田舎暮らし&田舎子育てをすることを決断した当初は、本日手続きを依頼しに行った板金屋さんがある隣町に住んでいました。

ちなみに、あおばの幼稚園時代のほとんどの期間は、その町で過ごしたことになります。

その頃は、「ちょっと買い物へ」となると、現在の町を抜けてその先の市まで行くというパターンが多かったのですが、その「ちょっと買い物へ」の先は現在も同じなので、週末などに出掛ける主な先は昔も今もあまり変わりはありません。

そのため、現在の住居のある町から前の住居のある町へとの “逆方向的なルート” で出掛ける機会というのはほとんどありません。

ということもあり、以前住んでいた隣町へ行くのは久しぶりでした。

だからこそ、小学3年生の子供のあおばの心にさえも、少しばかりではあるでしょうが「懐かしい~」という気持ちが芽生えていたようでした。

実際に口にも出していましたし。

そして確かに、そのルートは以前に何度も何度も通っていた道だからこそ、そうした気持ちが喚起されるのを僕も感じていました。

そんな背景があったからこそなお一層、車との「お別れ」に感じるところがあったようでした。

小学3年生の子供でも、ちょっとした「ノスタルジー」を感じることがあるのですね

それはきっと、その町が《幼稚園時代を過ごした町》だからなのでしょう。

もし仮に、あおばが小学校の高学年で、その町が小学校の低学年を過ごした町なのであったとしたら、同じような気持ちにはなっていないのではないか?

そんなことを感じたりもしました。

板金屋さんを後にするときにも、あおばは最後にその小型車に手を振っていました。

きっと、「これまでありがとう」との気持ちを込めていたのだと。

僕は、そのあおばの姿を見ていて、そちらに気持ちが行き過ぎてしまって、ついつい新しいほうの車のタイヤを縁石に乗り上げそうになってしまいました(苦笑)。

それで‥ あおばを驚かせてしまって、直ぐに現実の世界に引き戻してしてしまったことがちょっと悔やまれます。

「気をつけて、パパ!」と直ぐに言わしてしまったことを(苦笑)。

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