【盲点?!】子供の習い事の選び方に本人目線の欠如を感じた体験談

【あ劇場©】へようこそ。
本日、2021年10月14日の晩婚パパの育児日記の主な演目は【盲点?!子供の習い事の選び方に本人目線の欠如を感じた体験談】です。

本日は、ウチの小3の子供の「あおば」の《歌とピアノの音楽教室の習い事》がありました。

そのレッスンの終了間際に、あおばが先生から掛けられた言葉を後から聞いて、「これってもしや、思わぬ盲点?!」と感じた「ポイント」がありました。

その失敗談(?)的な体験談の内容は、 こちらです。

子供の習い事の選び方において、実はこの点を「あなどってはいけない」という点に今更ながら気づきました(教室に通い始めて1年と数ヵ月) ‥

それは、教室が《一軒家》で行われている、という点になります。

大切なのは観察!子供目線の欠如は子供の可能性の芽を摘みかねない?!

大人はどうしても、「現在の自分の感覚」で子供に関することを考えてしまう。

この点については、自覚していてもある意味では「どうにもならない」点なのかもしれません。

なにせ、自分が子供(小学生)だった頃は遥か遠くの昔なので、その頃に「考えていたこと・感じていたこと」を思い出すのは流石に無理かと。

プラス、仮に覚えていたとしても、「いま」とは時代背景が全く異なるのであまり「参考にはならない」と考えるべきなのだとも思います。

ましてや、感じ方は親子といえど違って当然。

自分の感覚や記憶に頼っていては「全然ダメ」なのだと肝に銘じておくべきなのだと思います。

であるからこそ、親のできるコトは次の点に尽きる のだと思います
 

子供と自分は違う!
その点をわきまえ、
子供のことを
よく観察すること

 

とはいっても(繰り返しにはなりますが)、親は子供の目線を失って久しいのでたとえよく観察しても必ず「間違える」ということは覚悟しておく必要が「ある」と思います。

ですので、「常に観察をし続ける」そのことが大切だと感じます。

常に観察を続けていれば、間違いに早く気がつけるので、方向の修正や転換を早く行うことができるので。

逆に、観察を怠っていて見落としている点があったとすれば、その点が 子供の可能性の芽を摘みかねないという「危険性」を高めてしまう、と感じます。

例えば、見落としていた点により、その習い事と子供との相性に問題がないにもかかわらず、「この習い事はウチの子供には合っていない」と親が早合点をして習い事を止めさせてしまい、「子供の可能性の芽を摘んでしまう」ということは十分にあり得るかと。

本日の習い事での具体的な出来事

それは、本日のレッスン時間の終了間際の出来事だったそうです。

片付けをしながらあおばは、レッスンで歌った歌を「鼻歌」で口ずさんでいたそうです。
すると、先生が次のように言ったそうです。

習い事の先生
レッスンで歌っていた時より、いまの「鼻歌」のほうがいいわね!

と。

この言葉は暗に(?)、「レッスン中は緊張し過ぎている‥」ということを物語っています。

というのも以前、ママがこちらの教室でのレッスンの様子を見学させてもらった際、先生からは以下のような感想の言葉があったからなのです。

習い事の先生
(ママと一緒だと)いつもと様子が全く違っていて驚きました!
【関連記事】
上述の先生の発言があった日の育児日記記事は、 こちらです。

 

まあ、小学生の子供が習い事の先生の前で「緊張する」のは、当たり前といえば当たり前のことのような気もします。

ですが‥ 普段のあおばは、全く人見知りをしないタイプなのです。

それは「大人」が相手でも同じです。

あおばが見知らぬ大人の方に話しかけられて応じている様子などを傍から見ていると、見ているこちらが「もう少し丁寧な言葉遣いはできないのかな?」とハラハラしてしまうことがよくあるぐらいですので(苦笑)。

そんなあおばがいまだ “緊張気味” というのは、「何か別の理由があるのではないか?」と感じたのでした。

「ピアノ教室は個人宅も一般的」は大人の感覚

それで考えてみたところ‥ 思い当たる点がありました。

  1. レッスンが《マンツーマン・レッスン》である点
  2. (1)の点に加えて教室が先生の自宅の一軒家である点

1)の点は、確かに子供が緊張する点というか、大人なであっても「緊張する」点であるとは思います。

ですが、この点については「オンラインでのレッスン」ではあるものの、英会話のレッスンでも、同じく《マンツーマン・レッスン》を受けています。

ですが、英会話の《マンツーマン・レッスン》時のあおばは、いつもとてもリラックスしてレッスンに臨んでいます。

しばしば、あまりにノリノリで「これでいいのか?」とこちらが心配してしまうぐらいです(苦笑)。

とてもリラックスできている理由の1つはやはり、《自宅》でレッスンを受講しているという点が挙げられると思います。

考えてみると、その真逆が上掲リストの(2)の状況になるわけでした。

当然ながら、その点は最初からわかっていたことではありました。

ですが‥ 本日の体験を踏まえて考えてみると、親の僕等には以下の感覚があったため、その点をついつい見過ごしてしまっていたのだと。

「ピアノ教室は個人宅も一般的」は大人の感覚。

子供当人にはそんな感覚は「なく」て当たり前。

その点を踏まえると、その点を当たり前のようには感じていない子供が、「たった1人で、大人の方とその人の家に居る」というシチュエーションに、戸惑いを覚え緊張感を抱くのは至極当然なコトだといえるかと思います。

それが、同じ《マンツーマン・レッスン》であっても、「個人宅」ではなくて「商業施設的な教室」という環境であれば、それほど緊張をすることは「なかった」であろう、と感じるのでした。

おわりに

本日は、我が家の小3の子供(一人っ子)のあおばの習い事の先生の一言をキッカケとして、《子供の習い事の選び方の盲点的な部分に気づいた体験 がありました。

いざ、気づいてみると‥ 「どうしてこれまで、この点に想いが至らなかったのかな?」とも感じるぐらいのことでした。
 

小学生の子供がそれほど親しいわけではない大人の方の「家」に1人で居る。

 

そのシチュエーションに緊張感を覚えない子供は「いない」ですよね。

であれば、子供の習い事の選び方のポイントの1つとして《教室の環境》を加える必要があると感じます

プラス、そのチエックポイントとして「教室が先生の個人宅・一軒家かどうか?」という項目も重要なポイントとして加える必要性があると

ちなみに、あおば本人は、

あおば
別にそんなことはないよ

と、否定してはいますが(苦笑)。

でも、そのうち気づくことがあるのではないかと感じています。

「自分で思っていた以上に、コウコウであった‥ 」ということが、結構あるモノなのよ、生きていると。

まあ、「いま」はそんなことは感じてなくて全然 OK! だけどね!

ということで、これからは「鼻歌」気分でレッスンを受けてみるのも「あり!」かもよ、あおば!

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