覚える(=暗記)と理解するの違いを語る小学3年生!読書量のなせる技?!

【あ劇場©】へようこそ。
本日,2021年09月15日の晩婚パパの育児日記の主な演目は【覚える(=暗記)と理解するの違いを語る小学3年生!それって読書量のなせる技?!】です。

本日は,あおば(ウチの小3の子供)にとってちょっと「特別な日」でした。

それは,あおば史上ではまだ「2回目」の,学校への登校時と下校時の両方ともで《ママが不在》という出来事です。

しかも,その初回であった今月6日の際は,起床時はママがいて夕方5時には帰って来ていたのですが,本日は「起床時は既にいなく帰宅も夜の9時頃」と不在時間・間隔が大幅にアップした状況でした。

そうした背景もありか? 僕と二人だけでの夕食時には,普段とちょっと違った会話が交わされ,その中で「驚き!」の発言があった のでした。

【補足】6日の「初回!」時の育児日記記事は, こちらより。
(小学中学年まで?!)子育てママには在宅ワーク中心がオススメ!と感じた体験

 

「覚える(=暗記)と理解する」その違いを小学生にて掴んでいる発言とは

先でふれたようにそれは夕食時の食卓での会話でした。

会話の中であおばが次のような発言をしたのでした。

あおば
ただ覚えるのと,頭の中に1つ情報を取り入れることは全然違うよね

と。

それは会話の中で,色々なコトをたちどころに覚えてしまうあおばのことを「スゴイね!」と褒めた後に,僕が次のような “もう一言” を加えた後での発言だったのでした。

晩婚あおばパパ
でも,あおばはただ単に覚えているだけでなくて,覚えたコトを応用して別の使い方もできているから更にスゴイね!

と。

その発言に対してのあおばの言葉だったのです。

それはつまり,
 

理解するという意味を
ちゃんと理解している

ということだと思うのです。
 

一連の会話の発端は,『Doodle-チャンピオンアイランドゲーム』についての話しでした。

どうも,あおばが学校で使っているタブレット端末のキャッシュやCookie(クッキー)を “何気なく” クリアしてしまったようなのです。

我が家の場合,ママが結構頻繁にWebブラウザーの閲覧履歴をクリアしているので,その姿を脇でちょこちょこ見ているあおばが,「真似」をしたのだと思います。

ですが‥ そのことが『Doodle-チャンピオンアイランドゲーム』については大きな影響を及ぼしてしまったのでした。

これまでのゲーム内容の履歴データも一度,「オールクリア」してしまいリセット状態になってしまったそうです。

閲覧履歴のクリア操作の真似をした時に,閲覧履歴だけでなく「すべてをクリア」を間違って選択してしまったのですね,きっと(苦笑)。

そうした話の中で,「コンピューターはただ記憶しているだけで,その意味を理解しているわけではないからね」的な話しになったのでした。
 

さて,当ブログでは度々ふれている内容でもあるのですが,あおばは《大の本好き・読書好き》に育ってくれました。

そのおかげで,語彙力の豊富さには幼少時から驚かされ続けてきています(ちょっと親バカ的ですが(苦笑))。

ですので,「難しい言葉を知っている&使っている」だけでは,小3となった「いま」は驚くことは少なくなっています。こちらが慣れたので。

ですが,今回の発言は一味違っていました。

単に言葉を知っているというのでは「なく」,その意味する内容を「深く理解」している発言でしたので。

おまけに,「~頭の中に1つ情報を取り入れる~」という表現もかなり「イケてる」感じですし。

なにか,《脳科学的》なコトをシッカリ理解しているかのように聞こえもおかしくないフレーズですよね。

まあ,さすがにそれはないとは思いますけど(笑)。

ですが,イメージとして,頭の中(脳内)に情報ネットワークが張り巡らされていく情景・様を思い描いている感じはあるのかもしれませんね。

ちなみに,様々な事柄をよく覚えているあおばですが,トランプの神経衰弱についてはスゴク得意というわけではありません。

小3にしては強いかとは思いますが,特別というほどではありません。

ということは,短期的な暗記力に秀でているというわけでは「ない」ということだと思います。

それでいて,様々なコトをよく覚えているということは,その情報の本質を良く・上手く掴むコトが=理解することが「できている」,というコトなのだと思います。

子供と父親の会話の中での出来事

さて,本日の出来事の中で《興味深い点》がもう1点ありました。

それは,次のあおばの例の台詞,

あおば
ただ覚えるのと,頭の中に1つ情報を取り入れることは全然違うよね

との言葉が,ママが不在の「僕とあおばの2人だけ」というシチュエーションで交わされた言葉だったという点です。

つまり,状況的に以下の状態であった点です。

子供と父親の会話の中での出来事

本日のあおばの発言は,随分と「大人びた」発言だったと思います。

そして,それは何もその発言に限らず,本日は丸々一日,常にあおばがいつもより大人っぽく振舞っていた一日でした。

そのことは逆に言えば,《ママが家に居る》という状況が子供に与えている《影響力=安心感の大きさ》を,よく表している と感じました。

ママが不在な今日一日,あおばはいつもより随分とシッカリとした風に振舞っていました。

つまりは,ママがいればいつでも「ママに甘えさせてもらえる」という風に,あおばが感じている「証」でもあったように思えたのでした。

「ママがいる」という日常に対して,「ママが不在」という状況は,あおばにとってはとてもレアな例外的な出来事です。

だからこそ,「いつも」とは違う一面が非常にストレートに感じられるのでした。

子供って「父親(僕)と二人だけだと随分と振る舞いが変わるのだな」と。

なお,「僕と二人で遊んでいる」時は,いつものあおばでした。

というのも,それは我が家にとっては「日常的な光景」だからです。

そうではない《非日常的な状況》になった時に,「普段は見せない一面」を見せてくれたのでした。

子供にとってママ・母は《安心感を与える存在》。一方,父親は《自立を促す存在》なのかもしれません。

 

おわりに

本日のあおばのとても深い(?)発言。

ただ覚えるのと,頭の中に1つ情報を取り入れることは全然違うよね

小学3年生にして「その発言をした」という事実の背景には,《豊富な読書量》があるのだと感じました。

より具体的にいえば,《豊富な読書量》に裏打ちされた以下の点により。

  • ことわざや格言などにも数多くふれている経験
  • そうした経験を通じて培った印象的なフレーズの意味を理解する能力

その背景があってこその「発言」だと感じたので,食後にちょっと尋ねてみたのでした。

晩婚あおばパパ
さっき,あおばは「ただ覚えるのと,頭の中に1つ情報を取り入れることは全然違うよね」と言っていたけど,それに似た内容の言葉を何かの本でみたことあるの?

と。

すると,かな~り意外な答えが返ってきました。

あおば
ううん。それに似た言葉は,前にパパと一緒に「はさみ将棋」をしていた時にパパが言ったんだよ

と。

「えっ?! そんなこといった?」

と,驚いたのでした。

いや,似たようなコトは言ったのでしょうね,きっと。

ですが,その言葉の意味することを,その後に沢山の本を読んでいくうちにシッカリと消化できたからこその,今回の言葉だったのではないかと。

そのように感じたのでした。

それにしても,今日はなんか色々な面でいつも以上にシッカリと振舞っていて,カッコよかったよ! あおば!

広告