子供(小3)の不思議な行動に「?」小学生でも実験は続くを実感(本日はお風呂)

【あ劇場©】へようこそ。
本日、2021年10月07日の晩婚パパの育児日記の主な演目は【子供(小3)の不思議な行動に「?」小学生でも実験は続くを実感(本日はお風呂)】です。

本日は、あおば(ウチの小3の子供)がいつもの倍以上の時間、一人でお風呂に入っていました。

理由を尋ねてみると、

あおば
シャワーのお湯が水になったから、お湯になるまで待っていた

とのことでしたが・・

我が家のお湯事情は、いまだかなり昭和テイストで古風な “湯沸かし器” 仕様(なにせ田舎暮らしなもので)。

ですので、水になることはないはずなのです。

なぜ、そう思ったのか?

子供の行動って、大人の親からみると不思議なコトが多いですが、それは小学生になってからも「まだまだ続く」ようですね(苦笑)。

幼い子供の不思議な行動といえば様々な実験行動

幼い子供は、大人からみると「不思議?なぜ?」と感じる行動をすることが多いですよね。

例えば、「何度も同じコトを繰り返す」「狭い所に入りたがる」などなど。

そうした幼い子供によくみられる行動は、子供達が様々なことを《仮説実験》しているからだそうです。

その辺りのよくみられがちなパターンとその「具体的な意味」に関しては、こちらのNHKさんのサイトなどが参考になります。

ポイントは、大人である親からすればいまとなっては「遥かな彼方の出来事」だったことなので、スッカリ忘れていることなのですが、いずれも「かって自分も通ってきた道であった」という事実を《再認識》する点にあると思います。

といっても、乳幼児期の行動を覚えている人はさすがにいないかと思いますので、その点に関しては、脳科学的な知見をまとめている書籍などをあたるのが良いと思います。

そうした類の本の情報にふれると、素直に次のように感じられると思います。
 

晩婚あおばパパ
そっか~! あの行動もこの行動もみんな、子供なりに仮説を立てたり繰り返し検証をしていた実験の結果だったのか~

と。

幼児期の頃のコトをほとんど覚えていない僕の場合は、本当に「ちゃんと意味があるんだ!実は!」と目から鱗がボロボロと落ちたものでした。
 

一方、子供が長じて小学生ともなってくれば、親側も「そういえば、自分もこうだった!」と思い当たる節が少しずつは出てくるのではないかと思います。

僕の場合は、小学生になってからの記憶もこれまた少ないですが(苦笑)。

それでも、おぼろげな記憶を辿っていくと、自分なりに《仮説実験》をしていたがかって色々と「あった」ような気はしてくるのでした。

幼い子供の不思議な行動=実験行動は小学生でもまだまだ続く?!

乳幼児期の子供はそれこそ、毎日のどのような場面においても《仮説実験》をしているのだと考えられます。

人間の「脳の前頭前野」はなんと!20代の半ば頃まで成長しているそうです。

そう考えると、小学生という年代はまだまだ日々数多くの「実験」を繰り返している年齢であるはずです。

特に、《好奇心旺盛なタイプ》の子供であれば、その「実験」に様々なバリエーションが更に付加されるのだと思います。

また、子供は「空想」することが好きなので、《空想家タイプ》の子供も色々なコトを考えて「実験」をしているのではないかと。

そう考えると、次のようなことが言えるのかもしれません

コロナ禍やAIの進展、脱資本主義的な転換も求められる《これからの新しい社会》においては、大人から見ると「突飛な行動をする子供」こそが、従来の常識に囚われることなく様々な可能性の扉を開いていく存在となる可能性が極めて高いのではないか。

であれば、小学生の親としては、《子供の不思議な行動》を矯正するのではなく寧ろ、「推奨すべき」ですらあるのかもしれません。

なんて言うと‥ ウチの一人っ子のあおばは、増々調子に乗りそうで恐い気もしますが(笑)。

でも、真面目な話し「調子に乗る」ぐらいで丁度いいというか、そのぐらいでないとこれからの子供は「ヤバイ」のではないかと思います。

《ニューノーマル》《グレートリセット》という言葉が様々な方面で使われている意味をキチンと捉えると、そうなる筈だと。

旧い考えにどうしても縛られてしまう面がある親の世代が、その考えに基づいて「躾」などというコトを押し付けたりしたのならば、子供の自由な発想に足枷をかけてしまう面が出てきてしまうかと。

その匙加減はとても難しいところではあるとは思います。

ですが、親世代としては、その難しい匙加減に挑まないといけないと思います。

でき得る限り、子供達の自由で伸びやかな発想に歯止めをかけず、且つその発想が適正な方向へ向かうような指針・指標を示し続ける。

そういった類の努力を親はしていかないといけないですね、「躾」などという安易で都合のよい言葉に逃げることなく。

子供の自由な《仮説実験》の歩みを邪魔することのないように。

おわりに

小学3年生の子供のあおばの「お風呂タイム」が普段よりかなり長かった。

本日はそんなちょっとしたコトをキッカケに、かなり大きな方向へと話しが広がりました。

丁度、あおばがお風呂で石鹸を使って、ミニ石鹸作り遊びに精を出しているように。

丁度ってこともないかな(笑)。

でも、「でも」なんです。

既存の石鹸から、それを解体して「新しい石鹸」を作っている様子というのは、既存の社会を解体して「新しい社会」を作っていくというイメージと、妙にシックリと結び付いてしまったのでした。

そう、子供が嬉々として「新たなモノ」を生み出すコトに熱中している様子をイメージして。

さて、そんな感じでお風呂場で自由に遊んでいた時間も実はかな~り長かった様子のあおばでした。

でも、途中で「早く出なさい」と急かすこともしませんでしたし、そのことを咎めたりもしませんでした。

その代わり、お風呂を出てからはいつもより急いで身体を拭き、早く布団に入るように促しはしました。

それもあってか(?)風邪を引くことがなかったのは、良かっです。

週末はまた「温泉」に行こうかね。 どう? あおば!

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