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本日の演題は【藤井聡太棋士の天才性とその強さの理由を読み解く-羽生九段との比較を含め】です。
藤井五冠(竜王,王位,叡王,王将,棋聖)はなぜ、「400年に1人」と言われるほど強いのでしょうか?
彼のプロ棋士デビュー以来、棋界のトップ棋士たちを含め、多くの方々がその理由を探ってきていますが、いまだその謎は解き明かされていません。
とはいえ、多くの推察がなされ、その輪郭が少しずつ“浮かび上がってきている”のも確かなところかと。
当記事では、ある1つの『視点』を導入することにより、それらの推察からなされた予想を結びつける=数多くある点(ピース)と点(ピース)をつなぐことにより、《藤井聡太棋士の天才性とその強さの謎》というパズルの欠損を埋める試みをしてみます。
カギは、藤井五冠のご家族や彼が幼少の頃にお世話になった方々の導き・指導法にあります(あるとみています)。
棋界を代表する二人の超天才「藤井聡太五冠と羽生善治九段」による、待望のタイトル戦(王将戦)がいよいよ始まる2023年1月。
このタイミングにあわせ、天才集団と言われる将棋界において、藤井・羽生の両氏が突出しているわけと、その違いについても比較検討をしてみます。
今回提示する『視点』に基づけば、“藤井五冠の天才性” だけでなく、“羽生九段の震える手” の謎にも迫れる、とみています。
藤井聡太の強さの理由と謎を解く動画
『藤井聡太さんの強さの理由が「謎」のままの「謎」を解く?!』とのタイトルの上掲動画は、当記事公開の約8ヵ月後に、当記事内容の “ダイジェスト版的な動画” として作成・公開した動画です。
当記事作成時は、「藤井五冠 VS 羽生九段」という将棋ファン待望の「王将戦」の開幕直前のタイミングでしたが、動画公開のタイミングはそれ以上に歴史的な対局となる可能性が極めて高い、藤井聡太七冠がいよいよ《全八冠制覇》をかけて挑む、永瀬拓矢王座との王座戦が開幕した直後となりました。
将棋界や藤井聡太さんについてあまり詳しくはないという方は、当記事を読まれる前に28分程のこの動画を一度観ていただくと、記事内容をよりスムーズに理解いただけるかと思います。
逆に、記事を読んでから動画をご覧いただいても、文章とは異なり動画らしく(?) “ライトなテイスト” に仕上げてある点を、お楽しみいただけるのではないかと思います。
(※動画のほうは動画らしく、映画ネタなども取り入れています)
藤井聡太の天才性・強さの秘密は詰将棋にあり
もちろん、書籍類だけでなく、ウェブ上の記事や動画などにも数多く目を通しています。
それらの情報の多くは、藤井五冠の同業者である「棋士の方々」によるものであり、棋士以外の場合であっても、将棋専門誌や新聞の将棋担当などの記者および関係者などによるものです。
つまり、藤井五冠の棋力を直接(或いは至近距離で)、「肌」で感じてきている方々の見解です。
棋界関係者による、「藤井聡太五冠の天才性・強さ」に関する見解をざっくりとまとめると、主だった内容は次のようになります。
- 「詰将棋」で培った終盤力・読みの力
- 「AI」による序中盤の研究の深さ
- 「脳力」と称せる強靭な集中力とメンタル
- 「考える」行為自体を楽しむ志向性
- 「好き」という将棋への気持ちの強度
なかでも、「詰将棋」に関しては、谷川浩司十七世名人を始め多くの棋士がふれている点であり、なにより藤井五冠本人が “自身の将棋の原点” として挙げているものです。
谷川十七世名人は特に、自著の中でも次のように語っていますので、抜粋・引用します。
(※この抜粋・引用内容については、後ほどより詳しくふれます)
『藤井聡太論 将棋の未来』谷川浩司 著、142ページより
~前略~ 彼が幼い頃に夢中になったという「目隠し詰将棋」と関りがあるのかもしれない。
藤井五冠の天才性を広く世に知らしめた点といえば、《史上最年少・14歳2ヵ月でのプロ棋士デビュー》ですが、それ以前に多くの棋界関係者を驚愕させていたのが、僅か12歳・小学生(6年生)での《詰将棋解答選手権での優勝》でした。
この《詰将棋解答選手権》は、上述の谷川十七世名人ら、詰将棋愛好家でもある多くの現役棋士も参加する大会です。
著名な棋士の名前を一部挙げれば、斎藤慎太郎八段や広瀬章人八段なども参加されています。
今期を含め2期連続で名人戦の挑戦者となった(=A級順位戦で勝率一位を獲得した)斎藤八段や、今期の竜王戦で藤井竜王に挑戦し、七番勝負で初めて藤井五冠に第六局目を経験させた広瀬八段などのトップ棋士たちも参加する大会を、「小学生で制してしまう」という快挙は、正しく “天才の中の天才” にしか成し得ないことです。
棋界においては「本将棋と詰将棋は別物」との見方が以前よりあり、現在においても増田康宏六段のように「詰将棋、意味ない」という意見も根強くあることはあるのですが‥‥
僅か12歳・小学生での《詰将棋解答選手権優勝》の事実を鑑みるならば、藤井五冠の強さと天才性の根源に、“詰将棋で培った能力がある” と考えるのが、自然です。
当記事冒頭でふれた、ある『視点』も、“幼少期の藤井聡太少年と詰将棋との関わり方”に、深く関係します。
藤井聡太はAIの申し子か?
「藤井聡太五冠の天才性・強さ」に関する上掲リストには、以下の項目を記しました。
「AI」による序中盤の研究の深さ
ただし、この点には「注意」が必要です。
藤井五冠はプロ棋士デビュー直後にいきなり、無敗のまま『公式戦29連勝』の歴代最長の連勝記録を成し遂げました。
その過程で「藤井フィーバー」と呼ばれた将棋ブームが巻き起こり、にわかに将棋に注目をしだしたメディアの中では、その強さを伝える手段として次のような(誤った)表現が飛び交いました。
「藤井四段(当時)は、AI・人工知能の申し子である」、と。
しかし、すぐ後に、藤井さんの師匠である杉本昌隆八段(当時七段)は、「藤井が将棋ソフトを使うようになったのは三段リーグ入り後のはずです」と明かしています。
藤井少年が奨励会の三段リーグに参戦したのは2016年の春、彼が中学2年生となってからでしたので、その時点で藤井将棋の基礎は既に出来上がっていました。
その意味で、藤井五冠は将棋ソフトで学んで棋力をつけてきた “将棋ソフトネイティブ” と呼べる存在では “ない” ということです。
よって、その「天才性」の素地に、将棋ソフトやAIの存在があったわけではない点は明確です。
対するに、棋士の方々がこの点にふれたのは、藤井五冠の “強さの進化” についてです。
プロデビュー直後から棋士の間においても、「藤井四段の将棋の完成度はかなり高い」との評価を得ていましたが、それでも当時は、序中盤で損ねた形勢を驚異的な終盤力でもってひっくり返すという逆転勝ちの頻度も、それなりにありました。
しかし、ごく短期間のうちにその傾向は改善され、序中盤から隙なく指し回し中終盤から一気に突き放すという盤石の勝ち方を身につけ、AIの評価値が示すその軌跡が『藤井曲線』と称されるまでに進化を遂げた。
その藤井将棋の進化に対して、「AI」による序中盤の研究が大きな役割を果たしていることは、藤井五冠本人も公言しています。
一方で、藤井五冠は「AIの指し手を鵜呑みにしない」とも明言しています。
その辺りのスタンスについては、以下の書籍に具体的な記述があるので、抜粋・引用します。
将棋記者が迫る『棋士の勝負哲学』村瀬信也 著、22ページより
2020年7月、初タイトルを獲得した直後の藤井にインタビューした際、こんなことがあった。「藤井さん自身の将棋がAIに似てくることはあるか」と尋ねると、「似てくることは基本的にないと思います」ときっぱりと否定されたのだ。「将棋は一局ごとに違う局面が現れるので、全体的な指し手の傾向として極端に似るのは考えづらいです」。口調は穏やかだったが、「似る」という言葉に対する反発心が強く印象に残った。
この問いに対する解は、以下の三通りの答えがあるのではないでしょうか。
- 天才性=才能の開発に関しては関与なし
- 棋界関係者からすればその範疇の使い手
- 本人は「AIの指し手を鵜呑みにしない」姿勢(=否定)
「藤井聡太五冠の天才性・強さ」のカギを握るのは、AIではなく、「詰将棋」である、と見立ててきました。
次に、その観点から、棋界を代表する二人の天才の「最大の共通点」についてふれてみます。
プラス、大きな共通点を踏まえた上での “相違点” にも。
その前に一つ、当記事の公開後に、羽生九段本人が藤井五冠を「別格視」しているインタビュー動画が公開されたのを見つけましたので紹介します。
全編で27分01秒のこちらの動画では度々、藤井五冠に関する質問が出てくるのですが、中でも「23分15秒前後から2分弱ほど」の間の内容が特に注目です。
以前、羽生九段が梅田望夫氏との対話の中で語り、将棋界やIT・インターネット業界の界隈では一躍有名となった『学習の高速道路論(&その後の)大渋滞論』に関する話題の中で、藤井五冠のことを「ただ一人の例外」と語る場面(満面の笑顔で)は、羽生・藤井の両氏のファンなら必見!?の場面かと。
ということで、羽生九段自身も「ちょっと別なところを持っている」と感じている、藤井五冠との違いはどこにあるのか?
最大の共通点と異なる部分の両点に、具体的にふれてみます。
藤井聡太と羽生善治、二人の天才の最大の共通点
藤井聡太五冠と羽生善治永世七冠。
藤井五冠が現在「最強の棋士」であり、羽生九段が「歴代最強の棋士」と言える存在であることに対しては、つまり、「天才の中の天才」であることに対しては、将棋ファンならずとも、日本国民の大半が抱く印象なのではないでしょうか。
棋界を代表するこのお二人には、棋風だけでなく、将棋に関する発言内容や人柄から醸し出される雰囲気など、多くの共通点を見出すことができます。
その多くの共通点の中にただ一つ、藤井五冠と羽生九段の二人の超天才だけにみられる「特異な現象」があるようです。
それが、脳内における将棋盤=将棋のイメージの再現法です。
通常、詰将棋などを考える際は、我々のような素人でも頭の中で以降の指し手をイメージしながら、展開を考えていくと思います。
その際に、頭の中で駒の動きをイメージしている働きが、いわゆる「脳内将棋盤」です。
この「脳内将棋盤」は、ほぼ全ての棋士が将棋の展開を “読み進める” 際に、活用しています。
ただし、その活用法が異なる棋士が「二人だけ」います。
それが他ならぬ、藤井五冠と羽生九段なのです。
将棋ファンならご存じのとおり、藤井五冠は通常、頭の中で展開を “読む” 際には、脳内将棋盤ではなく、「符号」を活用しています。
「▲2八飛」や「△2二角」など、駒の現在地や移動先などを表すための棋譜の表記法で用いるのが「符号」です(▲は先手、△は後手の意味)。
つまり、通常、「駒のイメージ」を脳内で動かして考えるところを、プロであればそれが超高速で動くわけですが、藤井五冠は「駒のイメージ」ではなく「符号」で考えているということです。
この事実は、プロ棋士においてさえも驚愕の一言!であるようで、「信じられない!」との声が多く挙がっています。
以下は、同内容に関連する箇所を、ウィキペディアから抜粋・引用した内容です。
脳内将棋盤を使わず符号で思考
プロ棋士は通常、対局中に手を読む際は脳内に将棋盤を思い浮かべ駒を動かして思考するが、藤井は脳内将棋盤を使わず符号が浮かんでくると語り、プロ棋士からも驚きの声が上がった。
藤井聡太 – Wikipediaより抜粋・引用
次いで以下は、先でもふれた谷川十七世名人の著作『藤井聡太論 将棋の未来』の中からの抜粋・引用内容です。
『藤井聡太論 将棋の未来』谷川浩司 著、142ページより
~前略~ 彼が詰将棋を解く際は「符号だけで判断し、脳内の盤面すらない」と言われている(杉本昌隆著『悔しがる力』)
頭の中で浮かぶ将棋盤がどのように見えるかは人によって違う。私は余計な情報が入らないように白黒の一字駒である。
藤井さんの言う「符号」とは「▲7六歩」といった棋譜表記を指していると思うが、イメージ画像なしにデジタル情報だけ考えているということだろうか。そんなことができるのかと驚くが、詰将棋のような部分図であれば局面で覚える必要がないということか。
あるいは、彼が幼い頃に夢中になったという「目隠し詰将棋」と関りがあるのかもしれない。
彼が通っていた将棋教室で行われる目隠し詰将棋は、算盤の暗算のように読み上げられる詰将棋に対して、頭の中で局面を作り上げた上で駒を動かして答えを出すというトレーニングだ。
いずれにしてもクリアな頭脳でなければできない芸当である。
なお、藤井五冠の場合は、基本的に「符号」で “読み” を進め、時折りそのイメージを将棋盤という「画」に転換して確認する、という形で思考しているそうで、脳内将棋盤を一切使わないわけではないそうです。
羽生九段の場合は、“読み” を進める際のバリエーションがいくつかあるようです。
講演で「符号を使って考える」と話したことがあるそうで、また、別の機会では次のように語っています。
「将棋盤をいくつかの局面ごとに分割し、その分割した局所ごとを一つのレイヤー(階層)として(高速に)順番を入れ替えたりしながら考えているイメージ」、と。
要点は、そのいずれにせよ、他の大多数の棋士とは異なり、通常の将棋盤を「脳内将棋盤」としてイメージしているわけでは「ない」という点にあります(羽生九段も通常の脳内将棋盤をイメージするケースもあると思いますが)。
ありとあらゆる最年少記録の “ほぼ全て” を塗り替えてきている藤井五冠と、他の誰もが成し得ることのなかった高み(=永世七冠,公式タイトル獲得数99期,通算1,500勝以上など)に唯一到達している羽生九段の “二人だけが異なる” という「脳内イメージ」。
ここからは、その仮説を軸に論を進めていきます。
藤井聡太の特殊性(羽生九段との違い)
藤井五冠と羽生九段の二人のみが、脳内で、他の棋士とは異なる “将棋イメージ” を展開している。
仮に、同じような “脳内将棋イメージ” を展開している棋士が他にいたとしても、実績としてこの二人と近い領域に足を踏み入れている者がいないのは事実です。
したがって、仮にそのようなケースがあるとした場合は、何か別の足枷となるような要素がその人の中にあることが想定されます。例えば、メンタル面がかなり弱いなどの。
同じように、藤井五冠と羽生九段の二人においても、相違点は存在します。
先に、藤井五冠と羽生九段は、その佇まいにおいても似た点があると書きましたが、その一方、“大きな違い” が感じられる点があります。
羽生九段は、どのような会見・インタビューなどにおいても、常に朗らかな印象です。
藤井五冠もその点は同じなのですが、ただ、彼の場合は「目線」が異なります。
その点は誰もが一見で感じる点かとは思いますが、藤井五冠の場合は、質問などに対して答える際にまず、“一度目を伏せて思考を整理してから話す” という動作・プロセスを踏みケースが非常に多い。
藤井五冠のような仕草・動作をする人は稀なので、この点には多くの人が気がついていると思いますが、その特殊性の「意味」を的確に捉えていると感じられる見解をウェブ上で見つけたので、抜粋・引用します。
次は臨床心理士の藤井靖さん。藤井三冠のファンで、マルチアングルで藤井三冠の対局映像を見ているうちに、あるしぐさに注目するようになりました。
藤井 「 集中するときまって将棋盤に覆い被さるように前傾姿勢になります。ほかにも記者会見で目を閉じて考えてからしゃべったりする様子などを見ていると、『目』から入ってくる情報を制限することで、自分の心やペースを守っているんです。 」
棋士ら20人に聞きました「藤井三冠はなんで強いのか教えてください!」前編より抜粋・引用
臨床心理士という仕事柄らしいご意見だと感じますが、藤井五冠の「天才性と強さ」という観点から特にポイントとなるのは、以下の行と考えます。
『目』から入ってくる情報を制限する
臨床心理士の藤井さんには失礼ながら‥‥ 藤井五冠は、自分の心やペースを守ることを目的として、あの独特の仕草・動作をしているのではないと推察します(そうした面もあるとは思いますが)。
藤井五冠のあの独特な仕草・動作は、彼が「思考をする際・考えをまとめる際」に自然と “現れる”。
このポイントを細分化して抽出・箇条書きしたのが以下です。
- 幼少期に(0歳から遅くとも十代前半迄に?)
- 夢中になって・熱中して
- くり返し・継続的に取り組む
さすれば、天才集団の中においても “ほんの一握りの者” しか獲得できないような、特別な《脳の使い方》を身につけることができる。
しかし‥‥ 本当にそんなことは可能なのだろうか?
そんな疑問が浮かんだ方もいるかもしれません。
そこで次に、棋界・将棋界とは異なるが同じように天才が集まる、二つのある「天才集団における超天才」の事例を紹介します。
天才集団における超天才の特殊能力の共通点は脳力
将棋界は天才たちの集団である。
その点を端的に示す例としては、とても多才なプロ棋士である谷合 廣紀四段が挙げられます。
谷合四段は奨励会在籍中に東京大学理科1類に進学。
現在は東大大学院博士課程に在籍中で、プロ棋士と研究者・エンジニアという二つの顔を持ち、それぞれの職種に応じた専門書も上梓しています。
AIの開発にも携わっており、その経験と棋士活動を活かして、藤井五冠に関する棋書『AI解析から読み解く 藤井聡太の選択』を書き上げてもいます。
そんな多才で極めて優秀な頭脳の持ち主、谷合四段をしても、勝率的には苦戦を強いられているのが将棋界という集団です。
そのような天才たちの集団と比肩する天才の集団として、当記事で取り上げるのは、次の二つの世界・集団です。
一つは「クラシック音楽」の世界。もう一つは「体操競技」の世界。
クラシック音楽の世界には、それこそ世界中から、天才・神童と呼ばれる俊英たちが集まり競う名高いコンクールがあり、プロとしてデビューする奏者の多くが、そうした檜舞台で名を挙げた者であるという「強者たちの集団」です。
その世界の過酷さについては、多くの方が知るところ・イメージできるところなのではないでしょうか。
一方の体操競技の世界も、多種多用な運動能力が問われる側面において、スポーツ・運動の世界の中でも最も難易度の高い競技世界と言って過言ではないと思います。
あれだけの高度の運動を難なくこなす(こなしているように感じさせる)体操選手たちは、スポーツ・運動の世界の中の天才集団と言って差し支えないでしょう。
今回、当記事にてその二つの天才集団における「超天才」として取り上げたのは、次の二人の傑物です。
クラシック音楽の世界における伝説のピアニスト『グレン・グールド(故人)』。
日本が誇る体操競技界のレジェンド『内村航平』。
この異なる世界の二人の「超天才」には、ある共通点があります。
それが、「自分の身体を自在にコントロールできる」という特殊な能力=脳力です(※ピアニストのグールドの場合は「指」を)。
なお、この「特殊能力=脳力=脳の能力」については、両氏ともに本人が “公言ないし公開” をしています(詳細は以下にて)。
また、そのような「特殊な脳力=超脳力」を両氏が身につけることができた背景にも共通点があります。
グールドがピアノを始めたのは3歳の時。同じく、内村選手が体操を始めたのも3歳。
両氏とも、とても “早い時期からのスタート” を切っています。
ともに「家族」から指導を受けて始めたという共通点もあり、そのことが “早期スタート” の実現にもつながっています。
プラス、もう一つの大きな共通点として、早い時期にスタートしたというだけでなく、“早い時期に「夢中」になった体験をしている”、という共通点が挙げられます。
天才集団のクラシック音楽界で「オンリーワンの伝説」となっている超天才、グレン・グールド。
運動能力の天才集団たる体操競技界において、「前人未到!」の世界体操競技選手権とオリンピックの両世界大会での個人総合8連覇を成し遂げた超天才、内村航平。
天才性の根源には
「超脳力」がある
そして、その背景には “幼少期に夢中になっていた経験がある”。
この事実を知っていた私は、藤井聡太棋士が史上最年少でプロデビューし “そのまま無敗で前人未到の29連勝を達成した”との報道を見聞きした頃から、こう思うようになりました。
この点が、当記事冒頭でふれた、ある『視点』の中核をなします。
超天才グレン・グールドの能力と脳力
超天才ピアニスト、故グレン・グールドの超越性を伝えるエピソードとして、今回は以下の日本を代表する指揮者と作家であるお二方による対談の一部を選んでみました。
以下、ウィキペディアからの抜粋・引用です。
グールドと親交があり、彼の自宅を訪れることもあった指揮者小澤征爾は、作家の村上春樹との対談において以下のように述べている。
村上「グールドの演奏を聴いていて興味をひかれるのは、ベートーヴェン演奏なんかでも、対位法的要素を積極的に持ち込んでいくんですね。ただオーケストラと調和的に音を合わせるというんじゃなくて、積極的に音楽をからめ、緊張感を作っていく。そういうベートーヴェン像は新鮮でした」
小澤「本当にそうですね。でも不思議なのは、彼が死んじゃったあと、そういう姿勢を引き継いで発展させるような人が出てこなかったことです。ほんとに出てこなかった。やっぱりあの人は天才だったのかな。彼の影響を受けた人はいるかもしれないけど、彼みたいな人は出てこなかった。だいいちに、あそこまで勇気のある人がいないでしょう。僕から見ると」
グレン・グールド – Wikipediaより抜粋・引用
指揮者の小澤征爾氏が指摘する「あそこまで勇気のある人」の “勇気” とは、業界・世の中の常識や同調圧力などに一切屈することのなかったグールドの “姿勢・スタンス” に対する賛辞の言葉だと解釈できます。
その辺りの詳しい事情を含め、当記事の主テーマである「天才の天才性」については、グレン・グールドのピアニズムや思考の背景までをも詳細に分析している、以下の本を参照されることをお薦めします。
この書籍、『グレン・グールド 未来のピアニスト』は、自身もプロピアニストであり文筆家である青柳いずみこ氏の手による作品。
同業プロピアニストの方が書かれた本だけあって、ピアノ演奏そのものに関する記述が多くを占めるのですが、その点にあまり興味がなくとも、「才能およびその発達過程」に関心がある方なら、とても楽しめる内容となっています。
(※上段が文庫版、下段がハードカバーです)
以下、同書籍から、グレン・グールドの「超脳力」に関する記述を抜粋・引用した内容です。
(P26~27より)
普通の弾き手が練習中に難しい箇所にぶつかり、つっかかってしまったらどうするか。ただちに通しの練習をやめ、いわゆる「部分練習」をする。つっかかった場所をゆっくりと繰り返し弾く、リズムを変えてさらう、あるいは、右手だけ、左手だけ、声部ごとなどに分解して練習する。
このように、うまくいかない箇所を反復練習して筋肉におぼえ込ませようとするものだが、グールドは頭の中で反芻するだけで、指では練習しない。そして、頭が完全に理解すると、脳からの指令がただちに指先に反映され、間違いなく弾くことができるらしい。彼自身、「楽譜で勉強しているある部分について考えた瞬間、それを触感的なアプローチに自動的に結びつけてしまいます」と語っている。
(同P28より)
通常、運指は訓練のたまものである。~中略~
運動選手が考えずに体が自然に動くようになるまで反復練習をくり返すのと同じ作業を鍵盤相手におこなっているといってよい。つまり、グールドにとってピアノ演奏とは、いかにもスポーツ的な快感に浸っているように見えるときですら実はそうではなく、指の運動から発信されているものはひとつも含まれていないということになる。
こうして、グールドの「天才」の状況が少しずつほぐれきたように思う。普通のピアニストのようにまず指がおぼえてから頭がおぼえるのではなく、頭がおぼえてそれを指に伝達する。
たまたま指がまったく「問題のない」指だったので、脳からの指令をただちに指先に反映させることができる。グールドの恐るべき脳は一度とりこんだものは忘れないので、いつなんどきでもそれを演奏することができる。
ここまでの内容でも驚きなのですが、さらに、次のような記述もあります。
(P25~26より)
グールドが練習しないのは、決して怠けているからではなかった。グールドの晩年に数々の映像作品を制作したブリューノ・モンサンジョンは、指を「思考を支配する力を持つ危険な器官」と考えるグールドが、むしろなるべく練習を避けていたと証言している。
特に注目したいのは、以下の行です。
指を「思考を支配する力を持つ危険な器官」と考えるグールド
ここで、この部分を、先でふれた藤井五冠に対する「キー仮説(2)」に当てはめてみたいと思います。
※以下、「キー仮説(2)」部分を再掲
この「キー仮説(2)」の内容は、藤井五冠が記者会見やインタビューでの受け答えの際=彼が思考をする際に、しばしば「伏し目がち」となる仕草・動作に対する仮説でした。
この仮説を、上掲のグールドの言葉と掛け合わせてみると、次のように置き換えることが可能なのではないでしょうか。
極めて自覚的だったグールドとは異なり、藤井五冠の場合は自覚的ではないと思いますが、彼が思考に沈む際には無意識的に、視覚からの影響(=支配)を避けよう・減らそうとして、あのような仕草・動作をしていると推察できるかと。
超天才ピアニストのグレン・グールドの驚くべき能力=練習をしなくてもピアノを完璧に弾くことができた能力は、彼の特別な脳力(=超脳力)によってもたらされていました。
藤井五冠のあの独特な仕草・動作からは、彼がグールドと似た類の特別な脳力の持ち主(超脳力者)であることがうかがえると思いますが、いかがでしょうか。
藤井五冠とグレン・グールドとの類似性についてはもう一点、両氏の「幼少期」にとても似通っていた側面がある点を、同上掲書より抜粋・引用します。
(P88~89より)
~前略~ 五歳のときに初めて公開の場でピアノを弾いている。グールドが出演したのは教会の聖教教室で、二千人の聴衆の前で初見で二重奏の伴奏をした。半年後には、やはり教会で催された子供のためのコンサートでソロ曲(曲名は不明)を演奏している。大喝采を浴びたグレン少年はこのときから、「ぼく、コンサート・ピアニストになるんだ」と言うようになった。
~中略~
言葉をおぼえる前に楽譜が読めるようになったグールドに対して、~後略~
ご存じの方も多いと思いますが、藤井聡太少年が将棋を始めたのは「五歳」の時でした。
将棋を始めるやすぐに熱中し夢中になり、将棋の虜となった聡太少年は、そのときから一直線にプロ棋士への道を進み出しました。
さらに、聡太少年が通った『ふみもと子供将棋教室』で、「目隠し詰将棋」に取り組み始めた際は、彼はまだ字を書くことができませんでした。
そのため、詰将棋用のノートに「符号」を書き入れる際は、母親の裕子さんに代筆をしてもらっていたそうです。
つまり、以下の関係性が成り立ちます。
という類似関係が。
それを偶然と捉えることもできるのでしょうが‥‥
この類似関係が、グレン・グールドと藤井聡太という二人の超天才の “幼少期に重なっている” 点を考慮すると、この類似を単なる偶然とは言えない・言うべきではないと感じるのです。
では、グールドに関する論考の最後に、同氏がクラシック音楽界にデビューし “一大センセーション” を巻き起こした1955年のレコード・デビュー音源にして伝説の名演《バッハ:ゴルトベルク変奏曲 Goldberg Variations BWV988》を紹介しておきます。
他の誰もその領域にふれることができず、(超脳力の持ち主であると考えられる)グールドのみが成し得たとされる驚愕の「指さばき」を、ぜひ感じてみてください。
余談ですが‥‥ ヨハン・ゼバスティアン・バッハが亡くなったのは1750年7月28日だったので、1955年に “最高の演奏と音楽的解釈を伴う作品” を発表したグールドは、計算上では「200年に一人の天才」となります。
ということは、「400年に一人の天才」との声もある藤井五冠のほうがさらにスゴイということになるのか?
と、一瞬思ってしまったのですが、棋界と音楽界を比較することはできませんし、グールドの作品は200年後の未来においても、“「空前絶後の作品」の地位を保ち続けている”、そんな気がします。
超天才内村航平の能力と脳力
「空前絶後の作品」といえば、全盛期の内村航平選手の “ピタッと吸いつくような着地” は、「作品」と称したくなるほどの美を有してました。
あたかも、その場所だけ時が止まってしまったかのような、そんな錯覚すら感じさせるほどの完成度だったと。
その疑問を解き明かそうと挑んだのが、2012年7月15日に放映された『NHKスペシャル』でした。
以下は、同番組の案内サイトからの抜粋・引用内容です。
番組では、これまで謎に包まれていた内村の『空中感覚』を、最新の特撮技術に加え、スポーツ科学、脳科学、宇宙航空医学など、さまざまな分野の研究者の協力を得て、解き明かす。人はどこまで意のままに体を操ることができるのか? 進化し続ける肉体の可能性に迫る。
同番組は、 このような体制と問いを持って制作されたものでした。
また、タイトルに「第2回」とあるように、『ミラクルボディー』はシリーズ化されており(第1回はウサイン・ボルト)、後年に次期シリーズも制作されています。
同番組はそれだけの力が込められた質の高い内容で、結果として、内村選手本人でさえ気づいていなかった彼の持つ “特別な力” を明らかにしたと同時に、その「特殊能力=特殊な脳力=超脳力」が開花したプロセスまでをも解明していたのでした。
番組紹介サイトには、このような案内も掲載されていますので、抜粋・引用します。
ハイスピードカメラで撮影した内村は、まるで地上にいながらにして宇宙遊泳をしているようだ。それを可能にしているのが類いまれな「空中感覚」。どんなに複雑な宙返りやひねりを連続しても、内村は空中での自分の位置を正確に把握。自由自在に自らの体をコントロールしている。しかし、それは必ずしも天賦の才によるものではなかった。
カギとなるのは、次の行。
~それは必ずしも天賦の才によるものではなかった。
つまり、内村選手の類い稀な能力は、生まれつき身についていたものではなく、彼の「こうなりたい!」という気持ち・意思により、“芽生え成長し開花したものである” ということです。
以下、同番組より、その解明プロセスの一部を抜粋・引用して紹介します。
演技中の景色をはっきりと認識できる視力。
どんな姿勢でも重力の方向を正確に把握するセンサー。
宇宙遊泳のような演技を生み出す空中感覚の正体は、この二つの能力だった。
この二つの能力は、内村選手の幼少期の環境により育まれました。
その過程・プロセスは、以下のような流れで紹介されています。
両親が自宅で開く体操教室で、3歳から体操を始めた内村。最初はごく普通の子供だった。
基本の技「けあがり」 足を振り下ろす反動で鉄棒に上がる。
同い年の子供が次々成功する中、小柄だった内村は一向にできなかった。1年以上練習を重ねたある日、その瞬間は突然訪れた。
内村選手:何回やっても全然できなくて。すごい練習はしてたんですけど、まったくできなくて。
内村選手:ある日突然、すっと上がるようになって。
内村選手:1回目のときは、できた瞬間みんなに「できたよ!」みたいな感じで言って回ってました(笑)
内村選手:最初は絶対にどんなことでもできないじゃないですか。その、できなかったことが徐々にできていくことに、僕はすごく面白みを感じて。
この時味わった達成感が、体操にのめり込む原動力になっていく。
内村が夢中になったのが、小学5年生の時両親が体操教室に導入したトランポリンだった。
当時の映像。内村はゆかの上ではできない難しい技に、次々に挑戦している。
これを毎日繰り返すなかで見についたのが、あの空中感覚だった。
最も熱中したひねりの練習。1回、2回とひねりの数を増やしていくことが楽しくて仕方がなかった。
先に、藤井五冠とグレン・グールドの「幼少期」の類似性にふれましたが、内村選手も同じように、幼少期に「この瞬間!」「この出会い!」という《夢中になる機会》を得ています。
この点に関しては、もはや仮説ではなく「定説」としてしまって問題ないと思いますので、これまでの流れを逸脱して、【定説的仮説】としておきます。
次いで、同番組では、内村選手のある “仕草・動作” に注目します。
それは、彼が新しい技に取り組んでいる時に目にした姿からでした。
その練習のさなか、内村はあるしぐさを盛んに繰り返していた。
右手を体に見立てた、独特のイメージトレーニングだ。
新しい技に挑むとき、内村が最も大切にしている練習だ。
この独特のイメージトレーニングを行っている理由についての本人の解説が、驚くべきものでした。
内村選手:自分の頭の中にもう一人小さい自分がいて、それが自分の体を動かしているみたいな。
内村選手:やったことない技でも頭でイメージして、頭ではできているというのも空中感覚だと思うんですよ。
「自分の頭の中にもう一人小さい自分がいて、それが自分の体を動かしているみたいな。」
この発言のインパクトは「強烈!」でした。
この強烈な言葉が脳裏にずっと残り続けていたため、数年後(確か2~3年後)に前述の『グレン・グールド 未来のピアニスト』を読んだときに即座に、「この二人の超天才は同じ能力(超脳力)を持っている!」と感じたのでした。
先に、藤井五冠とグールドの類似性を基に、以下の『キー仮説(4)』を提示しましたが、その仮説の大本は、内村選手とグールドとの類似性によるものでした。
ミラクルボディーの番組は、次のように続きます。
金メダルへのカギを握る、イメージする力。
これもまた少年時代、夢中で体操に取り組む中で身につけた特別な能力だった。内村の小学生の時のノート。描かれているのは、体操の技のイラストだ。
テレビで見たオリンピック選手の技、いつかマスターしたい憧れの技を連続写真のように描きイメージを膨らませた。
そして、中学3年生になったある日のこと。
鉄棒の手放し技「コバチ」。当時、世界のトップ選手がこぞって挑戦していた。
いつか自分もやってみたいと、テープが擦り切れるほど見返しイメージした。その時だった。頭の中に、コバチを跳んでいるときの景色が浮かんだのだ。
内村選手:僕はコバチを全然やったことがなくて、本当にまったくゼロの状態だったんですよ、コバチに関しては。
内村選手:その選手のコバチをビデオで初めて見て、なんか勝手にできそうだなって思ったんですよ。
内村選手:それで、頭の中でイメージして‥‥
イメージが消えないうちに鉄棒に向かった。
成功。
その手は確かに鉄棒をつかんでいた。なぜイメージするだけで、その通りに体を動かすことができるのか。
謎を解くカギは、内村の脳にあった。
同じく、自分の指を脳内でイメージするだけで、その通りに動かすことができたグレン・グールド-Glenn Herbert Gould-は、1932年9月25日に生まれ1982年10月4日に亡くなっています。
1982年当時は、MRI検査(Magnetic Resonance Imaging:磁気共鳴画像診断装置)によって脳内で行われている活動を捉えるという技法はまだ普及していなかったため、グールドの特殊能力(超能力)を解明する術はありませんでした。
一方、近年はMRI検査技術が普及しています。
ミラクルボディーの番組では、内村選手に協力してもらい、彼の脳画像の測定にも取り組んでいます。
測定したのは、アスリートの脳を研究している早稲田大学の彼末一之教授のグループ。
教授:運動イメージも鮮明にできる人とできない人がいるということはわかっています。ですから、それを鮮明にするには、たぶんそれも練習がいるんだろうと思います。
教授:ですから、小さい時からそれをしょっちゅうやっていれば、そのプロセスがきちんとできるように、彼の脳ではなっているんだと思います。
どうすれば、できない技ができるようになるのか。
答えを探し続けた結果、内村は思い通りに体を操る能力を手に入れたのだ。
幼いころ、初めてけあがりに成功し、全身で感じた達成感。
それを追い求めることで、たぐいまれな空中感覚を身につけ、トップ選手へと成長していった。
以下は、MRI検査・測定結果の画像です。
(※上掲画像引用先は『ミラクルボディー 第2回 内村航平 驚異の空中感覚』番組内より。一部加工・編集済み)
左側の画像が「内村選手」、右側が学生選手(全国大会での優勝経験者)のものです。
検査内容は、北京オリンピックで金メダルを獲った中国人選手の映像を見せ、その演技をMRIの中でイメージしてもらうという内容。
MRI検査画像の赤い部分は、血流が増えた部分=脳が活性化した部分。
学生選手の脳は、活性化した部位が少なく、活性化した箇所は主に視覚にかかわる場所で、この場合、頭で描いているのは3人称イメージだという。
3人称イメージとは、テレビカメラのように選手の動きを第3者の視点から想像することで、一般的なイメージの方法。
一方、内村選手の脳は、学生選手とは大きく異なり、複数の部分が活性化されていました。
中でも注目は脳の上部の「高次運動野」と呼ばれる部分。
高次運動野は、運動するときどの筋肉をどれくらい動かすのか計画を立てるいわば司令塔で、通常、筋肉が動いていないのに高次運動野が働くことはあり得ないそう。
このことから、内村選手は3人称とは異なる特殊なイメージの方法=「1人称イメージ」をとっていると、彼末教授は分析します。
1人称イメージとは、その運動をしている選手に “なりきって” 見えている景色や手足の感覚などを想像する方法で、この時、高次運動野は実際に運動するときと同じように活動し、体を動かさなくても高いトレーニング効果があるとされる。
ポイントは、“イメージの力” により体を動かさなくても、動かした時と同様の効果を獲得できる点にあります。
この点は、グールドの「楽譜で勉強しているある部分について考えた瞬間、それを触感的なアプローチに自動的に結びつけてしまいます」との発言と見事に一致します。
内村選手とグールドの二人の超天才は、同じ「特殊能力=超脳力」を有していたのでした。
当記事冒頭でふれた、ある『視点』とは、この仮説とほぼ同義です。
藤井聡太の能力と脳力
「藤井聡太君がスゴイ才能の持ち主であることは確かなのだろうが、彼の才能って、あの羽生さんを超えるほどのものなのだろうか?」
彼のことを「400年の一人の天才」と評する声や本の表紙などを時おり目にしながら、2020年の9月に “あの番組” を観るまでは、そう感じていたのでした。
“あの番組”とは、2020年9月20日放送のNHKスペシャル『藤井聡太二冠 新たな盤上の物語』。
同番組の開始から10分ほどが経過し、《異次元の「読みの力」》とのエピソードが始まってからしばらく、手元のHDのカウンターが「12分00秒」を示した時点で「その場面」が映し出されました。
画面では、藤井聡太少年も通った『ふみもと子供将棋教室』に通っている子供たちが目を閉じて、同教室を主宰する文本力雄氏が読み上げる詰将棋の内容を聞き、正解を懸命に考えている姿が映っています。
続いて、「特訓を重ねると頭の中で自然に駒が動き、正解を導き出せるようになるという」とのナレーションも。
詰将棋自体は、自分も解いたことがありましたが、この瞬間まで「目隠し詰将棋」なる将棋の上達法・特訓法があることは知りませんでした。
ここまで何度もふれてきたように、「脳内イメージ」が天才・超天才と称される人達の「天才性」と強く関係しているのではないかと推察していた身としては、思わず戦慄をおぼえた瞬間でもありました。
その予感をより確かなものとしたのが約10分後。
番組開始からは18分35秒前後に《 “AI超え” 究極の一手》とのエピソードが進行し、「AIでさえも簡単には導き出せない最善手 X を、なぜ藤井は指せるのか?」とのナレーションの後、21分20秒前後に、藤井二冠(当時)のインタビューに場面が変わります(以下、引用)。
《ナレーション》
「藤井は脳内でそれを探っているときのイメージをこう語っている」《藤井二冠》
「最初に『符号』で読んでいって、まぁそうですね、たまにまた『盤』が出てきて、そこで改めて形勢判断をしたり、という感じで、読みを進めるときは『符号』で考えることが多いですかね」「そういった手が見えたときというのは、その手のあたりがちょっと違う感じに、感じることもあります」
藤井聡太棋士、本人が「『符号』で考える」と話している姿を観て、次のように感じました。
「やはり、この人は特別だ」と。
頭の中に浮かんだのは、内村選手とグールド・グールドとの類似性から導いていた次の仮説でした。
そしてこの時に、先に述べたキー仮説(2)も。
藤井二冠(当時)のインタビュー場面の後、番組ではこの 《『符号』で思考するというプロセス》 が、「特別なこと」であることを示唆する映像が流れます。
それは以降、よく喩えとして利用される映画『マトリックス』の有名なシーン、アルファベット記号がコンピュータモニター上をまるで雨のようにくり返し流れ落ちる場面を、『符号』に置き換えた映像を。
ただし、同番組ではそれ以上は、この《『符号』での思考》に直接ふれることはありませんでした。
《『符号』での思考》が、藤井二冠(当時)の “読みのスピードと深さ” の原動力となっているのではないか、という含みは残しつつも。
そして番組は、強さの謎は残されたままという状況で終局を迎えます。
「将棋の神様はなぜ、この少年を選んだのだろう」と、まだ幼い聡太少年が子供将棋大会の決勝戦で負け泣きじゃくるあの映像とともに問いを発しながら。
他方、番組を見終えて、私は次のように考えを巡らせていました。
「彼が選ばれた者(Chosen One)なのは確かだが、『脳内イメージ』を身体と連動することによって特別な力を発揮していた別の世界の選ばれし者の二人(内村選手とグールド)との違いは、どこにあるのだろう?」、と。
映画『マトリックス』とのつながりで「Chosen One」と書きましたが‥‥ 正確にいえば、彼らは受動的に選ばれたのではなく、能動的に “自らそれを選んだ者” なのだと考えます。
この新たな疑問の答えを探すべく、後日、同番組をくり返し視聴しているうちに、あることに気づきました。
それは、藤井二冠(当時)が《『符号』で思考する》イメージの背景には『マトリックス』ライクの映像を流していた一方で、子供たちが目隠し詰将棋に取り組んでいる場面では、『符号』イメージが用いられていなかったことでした。
子供たちが目隠し詰将棋に取り組んでいる場面は、次のようなシーンとなっています。
目をつむって一生懸命に詰将棋を考える子供たちが映る画面の右側下段には、詰将棋の手順で駒が動く『将棋盤のイメージ』が重ねて映し出されていたのでした。
同番組の制作者の方々が、意識的にそうしたのかどうかは不明ですが、そのシーンはあたかもこう語りかけているようでもありました。
と。
そこで脳裏に浮かんだのは、現在の藤井五冠の姿。
あの独特な仕草・動作でした。
その姿を頭に浮かべていた時に、ある記憶とともに一つのアイデアが浮かびました。
そのアイデアが以下の仮説です。
藤井聡太が示す可能性の大きさ
藤井聡太四段(当時)が、プロ棋士デビュー後に無敗のまま『公式戦29連勝』の歴代最長連勝記録を成し遂げ、「藤井フィーバー」と呼ばれる “将棋ブーム” が巻き起こってから、まだ僅か6年ほど。
棋界関係者によると、現在も続く新たな“将棋ブーム” は、羽生九段が永世七冠の資格を得て国民栄誉賞を受賞した際にも起きた将棋ブームより「より大きなうねりが感じられる」ものだそうです。
それは、藤井聡太少年の14歳2ヵ月でのプロ棋士デビューが、同じく中学生棋士の羽生善治少年の15歳2ヵ月より1年も早く、史上最年少記録であったことも関係しているのでしょう。
また、同じく棋界と呼ばれるもう一つの棋界の囲碁界では、3年前に仲邑 菫さんが10歳0ヵ月、今年になって藤田玲央君が9歳4ヵ月と、史上最年少のプロ棋士デビュー記録の更新が続いていますが、囲碁界の二人は聡太少年のようにプロデビュー後にいきなり頭角を現しているわけではないため、ブームが起きるには至っていない、と解釈することもできます。
しかし‥‥ はたして、「藤井フィーバー」が巻き起こった要因は、最年少記録や連勝記録などの記録更新が伴っていたからだけなのでしょうか?
恐らく、“そうではない” のではないでしょうか。
先で取り上げた藤井二冠の特集番組の最後に投げかけられた問い。
そう感じさせる “雰囲気や人柄” を、藤井聡太少年が醸し出していたことが、大きかったのはではないでしょうか。
生い立ち的にも彼は、将棋一家というような特別な環境下や英才教育を施されて育ったエリートなどではなく、“ただただ将棋が好きな一心で強くなったごく普通の少年” を思わせるところに、多くの人が共感をしたのではないかと。
そして、棋界の王者となった現在でも変わらぬ “謙虚な佇まい” がいまもなお、問いの続きを投げかけ続けているかのようです。
と。
この問いがとても魅力的に映るのは、逆にいえば、その秘密・謎が解ければ、自分自身や自分たちの子供や孫が、彼のように「なれるかもしれない!?」という可能性を、藤井聡太棋士が感じさせ続けてくれているからのように感じます。
もちろん、彼のような「超天才」になれるとは容易には思えませんが、その可能性を感じさせてくれる存在という意味であると同時に、次の一点に強く惹かれるのではないでしょうか。
藤井聡太棋士のように、「自分が本当に好きなこと」をしていけたらいいな、それに巡り合えたらいいな、と。
(※藤井五冠のような巨大な才能・能力を得るという意味ではなく、聡太さんのように「自分の頭で考える」ことを楽しむ・好むタイプに育てるための方向性の意味合いで)
そうした意味からも、藤井聡太棋士は、多くの人に希望や夢、そして「大きな可能性」を与え続けてくれている存在といえるかと思います。
その可能性の一端については、当ブログの以下の関連記事も、ご覧いただけると嬉しいです(当記事よりかなりライトなテイストの記事になっています)。
《本ページはプロモーションが含まれています》 【あ劇場©】へようこそ。 本日の晩婚パパの《コーチング的育児実録》の演題は【藤井聡太さん母の幼少期の教育方針はウチと同じ?!子供の集中力を高めるコツ】です。 本日は、我が家の小学3[…]
さて、親しみやすい「可能性」については、上掲の関連記事を参照していただくとして、当記事では引き続き、その「天才性と強さ」の謎に迫り、巨大な才能を育むという「大きな可能性」に、もう一歩踏み込んでみたいと思います。
サヴァン症候群の能力面のみの獲得の可能性
ここまで、「天才集団における超天才」の例として、棋界・音楽界・体操競技界の三人の超天才、藤井聡太五冠,グレン・グールド,内村航平選手の三名が、「特殊能力=脳力=脳の能力(超脳力)」の持ち主である、という点を確認ならびに検討してきました。
藤井五冠の場合は、グールドや内村選手のように本人が公言・公開している内容は現在のところはありませんが、彼が盤上で示し続けている能力や実績から、彼もまた「特別な脳力の持ち主」であることは明らかです。
一方、先でも簡単にふれたように、藤井五冠の能力・脳力は、グールド・内村選手とは異なっています。
では、藤井五冠の「脳内イメージ」の活用法と近い脳の活用法の事例はあるのか?
「AI超え」とまで言われるほどの驚異的な能力、「超脳力」を示す例があるのか?
そのように考えた時に思い出したのが、サヴァン症候群の方たちにみられる「特殊な脳力」のことでした。
『サヴァン症候群』と、Googleで検索をしてみると、次のような 【強調スニペット】 が表示がされますので、引用します(2020年12月現在)。
精神障害や知能障害を持ちながら、ごく特定の分野に突出した能力を発揮する人や症状を言う。 重度の精神障害・知的障害を持つ人に見られる、ごく限られた特定の分野において突出した能力を発揮する人や、その症状のことです。2020/05/12
引用内容出典先:サヴァン症候群 – e-ヘルスネット – 厚生労働省
着目すべき部分は、次の行です。
ごく特定の分野に突出した能力を発揮する人や症状
この「突出した能力」の突出ぐあいは “桁外れ” です。
その一例を、『日経サイエンス』サイトの情報より抜粋・引用します。
キム・ピークはさながら歩く百科事典。7600冊以上の本を丸暗記していて,米国の都市や町をつなぐ幹線道路を空でいえる。すべての都市の市外局番,郵便番号,その都市をカバーするテレビ局や電話会社名も記憶している。
右脳の天才 サヴァン症候群の謎より抜粋・引用
サヴァン症候群の方の特殊能力(超脳力)が、いかに突出したものであるかが、おわかりいただけたかと思います。
以下の内容も、同記事からです。
サヴァン症候群についてはまだ多くの謎が残されている。だが脳の画像診断法の進歩により,疾病の全貌が明らかになってきた。長い間,大脳の左半球損傷説が唱えられてきたが,画像研究の結果はその説を裏付けている。
右脳の天才 サヴァン症候群の謎より抜粋・引用
つまり、サヴァン症候群の症例のある方は、一部の脳の機能の損傷(主に大脳の左半球のよう)の代償として、別の一部の機能が強化されることにより、「特別な能力・脳力を発揮する」、ということです。
その特別な能力・脳力は、他の脳機能とバーター(物々交換)の関係性にあるため、特別な能力を示す領域以外のことは極端に不得手であったり、一般的な日常生活にも支障をきたす例が珍しくないそうです。
その点は、上掲引用部分に「~脳の画像診断法の進歩により,疾病の全貌が明らかになってきた~」とあるように、症例者の脳画像に、その特殊な活動がハッキリと現れた事例が報告されています。
この「サヴァン症例者の脳画像」については、手元にデータが残っておらず、また記憶も曖昧で申し訳ないのですが、恐らく以下の海外ドキュメンタリー番組がNHKで放送された際に、視聴したものだと思います。
後日、手元の録画番組データ類を改めて視聴していたところ、探していた番組が偶然見つかりました。
(恥ずかしながら‥)該当番組は当初記事に書いた番組とは別番組でしたが、同じくNHKで放送された「海外ドキュメンタリー」の番組でした。
具体的には、2015年11月28日放送の『地球ドラマチック 人間はどこまで賢くなれるか?』の回で紹介された番組で、「2012年にアメリカ」で制作された番組の内容でした(番組原題は『How Smart Can We Get?』)。
そのような次第で‥‥
以下の赤枠で囲われた ポイント 部分の下の約8~10行程までの内容は、私の記憶違いによる内容が含まれていることになり申し訳ないのですが、その点を除けば有益な内容でもあるので、記事公開時の内容は基本的にそのまま残してあります(一部、打消し線などの処置あり)。
また、再確認した『地球ドラマチック 人間はどこまで賢くなれるか?』からの情報も追加してあります。
少し長くなりますが、以下、同番組の紹介内容からの抜粋・引用です。
脳 未知のフロンティア(Beautiful Minds:Voyage into the Brain/2006年ドイツ)
~前略~ 数学や芸術などの分野で超人的な才能と記憶力を発揮する彼らは、フランス語で“賢い人”、賢者を意味する“サバン”と呼ばれ、世界におよそ100人いると言われる。
~前略~ このシリーズでは、~中略~ サバンの脳を科学的に分析することにより、~中略~ 脳の未知なる可能性を3回にわたり探求する。第1回 驚異の記憶力 The Living Computers
第1回は、「レインマン」のモデルとなったキム・ピークと一般の人の脳を比べ、脳のどの構造と働きが優れた記憶力をもたらすのか検証する。そしてピークのようなサバン症候群の人たちの脳には、不必要な情報をふるい落とすフィルターがないため、その脳はデリートキーを持たないコンピューターのようなものだと結論付ける。
~中略~ 人間は誰でもサバンになる可能性をもっているとする科学者の意見を紹介する。第2回 限りない創造性 The Miracle of Creativity
第2回は、人間の創造性は脳のどのようなメカニズムによって生まれるか検証する。
~中略~ 脳に欠陥を持つ自閉症のサバンは、経験や先入観などのフィルターをもたずに世界をありのままに見ることができ、それが優れた創造性を生み出すと分析する。アインシュタインやニュートン、モーツァルト、ベートーベンなどは、いずれも自閉症かそれより症状の軽いアスペルガー症候群で、右脳と左脳のバランスに問題があったという研究結果もある。~後略~第3回 男女の違いと可能性 Men and Women are unequal
第3回は脳の男女差についての科学的分析をもとに、サバン症候群の行動を検証し、脳がどのような可能性を秘めているか探っている。一般に女性の脳は言語や感情機能に優れ、男性は機械に強く数学的な解決に長けているとされている。しかし、自閉症の人々は男女とも感情レベルが低く、脳は極めて男性的とされる。~後略~
サヴァン症候群のドキュメンタリー「脳 未知のフロンティア」より抜粋・引用
私が観た脳画像はおそらく、第1回放送の「キム・ピークと一般の人の脳を比べ、脳のどの構造と働きが優れた記憶力をもたらすのか検証する」との内容で、紹介された脳画像だったのではないかと思います。
番組名などの記憶は曖昧なのですが、その画像の解析内容は “衝撃的な内容” だったので、よく覚えています。
その脳画像は、サヴァン症例者が特殊な脳力を発揮している際の脳活動を捉えたものでした。
具体的には、「暦」を計算している際の脳活動で、質問者が例えば、「西暦3210年の12月31日は何曜日か?」と尋ねた際に、症例者がその答えを脳内で探っているときの活動状況でした。
その驚くべき結果は、以下でした。
※「赤太字」は、「加筆修正」した内容になります。
この内容は、実はスゴク驚くべきことで、一般の人の脳の場合は、計算機能を含む左脳領域だけでなく、右脳の様々な領域もシッカリと活動を示しているのでした。
つまり、サヴァン症例者がその特殊能力を発揮している時は、彼らはある意味「生命活動すら一時的に停止ないし最低限までに抑制」するほど、一部の機能のみに全精力・全勢力を傾けている、ということなのです。
「それって‥‥ 命の危険はないのか?」と、とても驚いた感触が残っています。
と同時に、「それだけの桁違いな集中力があるからこそ、超人的な能力を発揮することができるのか!」と驚嘆したことも。
『地球ドラマチック 人間はどこまで賢くなれるか?』では、先天的なサヴァン症候群のアメリカの芸術家(絵画アーティスト)のジョージ・ワイドナー氏の「脳画像」を、医療の専門家が分析する場面があります。
ワイドナー氏は、カレンダーの曜日計算に「超人的な能力」を発揮する方で、数千年先の日付の曜日を正確に答えられる特殊能力の持ち主です。
(ex. 3333年の7月19日は何曜日?と聞かれて、即座に答えられる)
なお、ワイドナー氏はいわゆる「計算」をしているのではなく、カレンダーの形式で並んだ数字が脳内に現れるため、「日付を探して曜日を確認しているだけ」と言っています。
以下、加筆内容(2023年10月12日)
上記推論が正しいようであることが、「藤井聡太八冠」の二冠時の本人の発言(インタビュー記事)にあったことを発見しました(遅まきながら(苦笑))。
以下、そのインタビュー記事からの抜粋・引用内容です。
◆考えなくても勝手に手が進む
──別のインタビューで以前、次の手を考えるとき、頭の中に将棋盤が出てこないと話していたが本当か。頭に盤がないということではないです。ただ、読んでいくとき、頭の中の盤で駒が一手ずつ動いていく感じではないというか。何手か進んで、またその局面を考えるという感じです。
──局面を飛ばして考えるということか。
はい、そういう感じが近いです。
──詰め将棋を解くときも同じように考えるのか。
そうですね。たくさん解いていると、あまり考えていなくても勝手に(手が)進むことがあります。
引用内容出典先:振り返るあの一手と自作PCのこだわり 藤井聡太王位インタビュー
2020年9月21日 06時00分
以下、分析シーンで使われていた「ワイドナー氏の脳画像」などを同番組から引用します。
画像出典先:地球ドラマチック『人間はどこまで賢くなれるか?』2015年11月28日放送の回より
2枚ある画像のうち、1枚目(ないし左側)の画像は、ワイドナー氏が「曜日を探っている」時の脳の状態を写した画像で、赤く色付いている部分が血流が増して「活性化」している部分になります。
対して、2枚目(ないし右側)の画像は、同様の計算を行って際に見られる “一般的な脳の活動状態” の画像です。
なお、ワイドナー氏の脳画像内の右側の白枠線内の画像は、“一般的な脳の活動状態” の画像と比較しやすいように、別のシーンで登場した同氏の脳画像を記事著者がはめ込みしたものになります。
※白枠線内の「上部」の画像と、“一般的な脳の活動状態” の画像を比較すると、ワイドナー氏の場合は「左脳のごく限られた領域のみ&右脳のほんの一部」しか活性化していないことが、よく分かるかと思います。
以下は、同番組の分析内容シーンからの引用です。
右脳の活動パターンにかなりの空白があります。
ほとんど活動停止に近い状態にあると言っていいでしょう。
極めて特殊な状態だと言えます。特定の領域だけを使い、他は使っていないんですから。曜日を探っている時には、脳の機能を限定していると言ってもいいでしょう。
コロンビア大学医療センターの神経放射線学者 ジョイ・ハーシュ氏の発言より
次いで、別の専門家の発言シーンも入ります。
サヴァン症候群の人が脳の片側だけを使っているとすれば、反対側の脳を遮断し、片側の脳に備わった処理能力を全て1つの作業に使っているんだと思います。
通常脳は数百数千の作業を同時に行っていますが、それをたった1つの作業に集中させるんです。
神経外科医 ジョン・ゴルフィノス氏の発言より
数百数千の機能を一時的に遮断・停止し、1つの特定の領域・作業のみに集中する。
それができれば(している時は)、超人的な能力を発揮することができる。
藤井七冠の異次元とも言える「圧倒的な読みの量と精度」を説明可能とする事象としては、この推察こそが「最適解」と言えるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
超人的な能力を生む
もう、伝わったのではないでしょうか。
サヴァン症候群の症例者の場合は、その特殊能力は生理的な機能障害によってもたらされる。
対して、藤井聡太少年は、幼少期の出会いが生んだ「夢中になる熱情」「それを許す環境」「特別な訓練法」などの複数の要素が奇跡的に絡み合うことにより、自分自身で特殊能力のスイッチを入れる術を、自然に身につけたのではないでしょうか。
すなわち!
と、いうことなのではないかと。
先ほどのテレビ番組の紹介内容には、こうありました。
人間は誰でもサバンになる可能性をもっているとする科学者の意見を紹介する
また、その前に紹介したサイトにも、以下のような記載がありますので、抜粋・引用します。
さらに最近,一部の痴呆症患者にサヴァンに似た徴候が突然出現すると報告されたことから,すべての人の脳に天才的な才能がひそんでいる可能性も考えられるようになった。
右脳の天才 サヴァン症候群の謎より抜粋・引用
何者なのか?
藤井聡太棋士、彼こそが、「人間は誰でもサバンになる可能性をもっている」という科学者の意見を、「体現している存在」なのではないでしょうか。
彼のあの「あたかも視覚の働きを抑制・制限している」かのような “独特な仕草・動作” は、その点を雄弁に物語っているのではないでしょうか。
この点に対しては、以下の養老孟司氏の考察・提言がとても参考になるので、同氏の著作より抜粋・引用します。
『<自分>を知りたい君たちへ 読書の壁』より
(同書は、養老先生による書評集です)
(P101より)
~前略~ ネットを使うと、決定や問題解決を行う前頭前野がよく活動する。ところがそのこと自体が、今度は深い読みなど、集中を持続する必要のある機能の邪魔になってしまう。読書は脳をネットより少なく刺激する。「注意散漫を除去し、前頭葉の問題解決機能を鎮める」から、「熟練した読書家の頭脳は落ち着いた頭脳であり、騒々しい頭脳ではない」。むしろ「より多くの情報は、より少ない思考活動につながる」可能性がある。~後略~
『ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること』ニコラス・G・カー著 篠儀直子訳(青土社)に対する書評内容より抜粋・引用
幼少の頃から読書家であり、「ゲームやテレビにふれることはあまりない」との発言もしている藤井五冠については、上掲の内容がそのまま当てはまります。
この点は、通常の「子育て・育児」に対しても、とても参考になる点かと。
ですが、ここではもう一点、さらなる工夫を施してみます。
同ヵ所の一部を、「視覚領域の活動を抑制・遮断することにより、サヴァン的(=超人的)な特別な脳の使い方を習得」したと考えられる藤井五冠の例に当てはめてみると、次のように置き換えが可能かと。
「瞑目沈思」とは、目を瞑って深く考えること。
藤井五冠は目を瞑り=視覚領域を閉ざすことによって、深い思考の妨げとなる他の機能を鎮静化ないし活動休止・一時停止させることにより、常人離れした(=サヴァン的な)特別な集中力・計算力・思考力と、それらを持続させる「特殊な能力=脳力=超脳力」を手にすることができた。
しかも、(サヴァン症候群の症例者のように)バーター的に何かしらの機能の欠損の代償として特別な能力を獲得したのではなく、ただただ一時的に「瞑目」するというだけで。
藤井五冠の「凄味」とは実は、異次元の棋力以上に、この点にあるのではないでしょうか。
つまり、彼「藤井聡太さん」は、次のとても「大きな可能性」を、我々に感じさせてくれる存在なのではないかと。
人工知能・AIに
勝るとも劣らない
と、いうことを。
その「大きな可能性」については、実は「藤井五冠本人」も、雑誌のインタビューで以下のように語っています。そして、インタビュアーの記者の方も、その可能性に対しての感想を語っています。
以下、雑誌《 Number 1010 令和2年9月17日号『藤井聡太と将棋の天才。』 》の記事からの抜粋・引用になります。
(上掲『Number』特集記事 11~12ページより)
[最年少二冠の輝き] 藤井聡太 天翔ける18歳。北野新太=文
~前略~
革命的新戦法や新手を創出した棋士に贈られる升田幸三賞を弱冠16歳にして受けた一手こそ最高傑作と評されている。’18年度の竜王戦5組決勝・石田直裕戦の最終盤で披露した飛車切りの一手から「AI超え」と表現されるようになった。「一言で説明するのは難しいですけど、人間であれば条件を整理し、条件に沿った手を考えていきます。その中で導き出した手でした。現状、ソフトが大変強いことは言うまでもないことですけど、部分的には人間の方が深く読める局面もあると個人的には考えていたので、それが現れたのかなと思います」
そんなことがあり得るかどうかは分からなかったが、我々の希望にもなり得る言葉だと思った。
ここでのキーセンテンスは、以下の二ヵ所。
「~部分的には人間の方が深く読める局面もあると個人的には考えていたので、それが現れたのかなと思います」
この部分は、「藤井五冠本人」の発言内容(発言当時は二冠)。
注目すべき点は、「それが現れたのかな」と言っている点です。
とても謙虚な人柄の藤井五冠なので、「現れた」とは言い切らずに「のかな」と少しばかり “ぼやかして” はいますが、それでもハッキリと「現れた」と表現しています。
つまり、実質的に、「部分的には人間の方が(ソフトより)深く読める局面もある」と “考えている” だけではなく、実際にそれを “実現した” と表明しているという点です。
もう一方のキーセンテンスは、以下の記者の方(北野氏)の言葉。
そんなことがあり得るかどうかは分からなかったが、我々の希望にもなり得る言葉だと思った。
当時のその反応は、ある意味、当然と言えば当然の反応だったかと思います。
実際に「そんなこと」を実行・実践している当人は「それが現れた」と確信していても、俄かには信じがたい話しでもあるため、その話しを直接本人から聞いてもなお、「あり得るかどうかは分からなかったが‥‥」となってしまった。
ただし、その記事を書かれた記者の方も、当記事を読んでもらえれば「なるほど!」と賛同してもらえるのではないでしょうか。
藤井五冠の「凄味」とは、“人間の脳力の可能性は、人工知能・AIに勝るとも劣らない” ということを、将棋という頭脳競技を通して、実際に体現・表現してくれていること。
将棋のファン層を大きく超えて、藤井聡太という一人の棋士(人物)に魅了される人が大勢いる理由もまた、実は、“なんとなく” ではあったとしても、とても多くの人がそのような凄味(=魅力)を、彼に感じているからなのではないでしょうか。
おわりに-藤井聡太の天才性と羽生善治の震える手
当記事では、ある『視点』を持って、藤井聡太五冠の「天才性とその強さ」の謎・理由を読み解いてきました。
多くの棋士たちが認めるように、藤井五冠の強さの根源には、その「読み」の圧倒的な能力があります。
「読み」の能力とはすなわち、計算能力でもあります。
「AI=人工知能」を超えるような計算能力を、人間の脳が持つことができるのか。
考えるまでもなく、通常であれば、それは不可能に感じられます。
しかし‥‥ 私たちは「AI超え」と呼ばれる一手を指すことができる棋士が存在することを、知っています(AIがより多くの計算・時間を費やせば同じ結論を導くとしても)。
これまでみてきたように、藤井聡太五冠は、そのような「人間の可能性の大きさ」を感じさせてくれる存在であり、その可能性の根源には、彼自身と彼の家族を始めとした周囲の方々とともに幼少の頃から育み続けてきた “特別な能力=脳力がある” と考えられます。
本人も、そしてご家族たちも、その「超脳力」とも呼ぶべき特別な能力を、意図して身につけよう・させようとしたのではないと思います。
ですが、本人の望み・熱情を尊重し、周囲の大人たちが適切&的確なサポートに徹し続けてきた結果は、正しく「僥倖」をもたらした。
特に、「目隠し詰将棋」によって視覚を遮断し、「脳内イメージ」だけで思考を深めていく方法(=符号での思考法)が、藤井聡太少年の脳内にもたらした変化は絶大なものがあったのではないか、と推察します。
その先駆として取り上げたのが、グレン・グールドと内村航平選手の「実例」。
そして、両氏の実例を、藤井五冠に当てはめて考察し、いくつかの「仮説」を提示してみました。
なお、詳細は関連記事『藤井聡太一家の幼児教育の具体例に理想の効果や大切なことを学ぶ』に譲りますが、ここでは同記事で詳しく検討した以下の点にポイントを絞り、その要点のみを記しておきます。
先駆事例として取り上げたグレン・グールドと内村選手のケースはどちらも、ご両親は彼らが進んだ道の「熟達者」でした。
グレン・グールドの母親は声楽の教師でピアノも弾き、父親は声楽同様ヴァイオリンの演奏ができましたし、内村選手の実家は「体操教室」を運営していました。
それに対し、藤井五冠のご両親はともに将棋未経験者で、初期に聡太少年の相手をしていた祖母と祖父も初心者レベルでした(※ちなみに、羽生九段の場合もご両親は将棋を指さないそうです)。
藤井五冠が天才性を獲得したプロセス
聡太少年がそのような環境下でも、《符号での思考法》 という “特別な能力(脳力)” を手にすることができるようになった秘訣は、「藤井家の幼児教育」のプロセスにありました。
では、その具体的な「プロセス」とは、どのようなものであったか?
具体的な教育法や教具・玩具の類いや習い事との出会いは、以下のような内容・時系列順でした。
※リスト右側の ,, の3つのマークは、「温かく見守る」と「視覚の制限&抑制」を意味しています。
- 藤井家の基本方針(0歳~3歳)
- モンテッソーリ教育(3歳~) +
- 知育玩具キュボロ(4歳)
- 迷路創作(5歳)
- 習い事=将棋教室(5歳~)
まずは、大前提として(1)の幼児教育に対する藤井家の基本方針 「見守る」という点が挙げられます。
そのスタンスを端的に表現している、藤井家の幼児教育のモットーの一つは以下です。
「子どもには子どもの時間がある。大人はそこに立ち入ってはいけない」
子供の脳の発育・発達にとって、0歳~3歳の期間というのは「最重要期間」と言える時期です。
その重要な期間を含め、子供がある程度の年齢に達するまでの期間、私たち大人は得てして “自分たち大人側の都合” で、子供が「夢中になって遊んでいる時」を中断・分断させてしまうことが、ままあるのではないでしょうか?
藤井家ではご両親が、「大人はそこに立ち入ってはいけない」とのスタンスで聡太さんに接していました。
聡太少年は、何かに邪魔をされることなく「夢中になる」、気が済むまで存分に「熱中する」という経験・体験を数多く積み重ねことによって、あの尋常ならざる「集中力」の基盤を形成していったのだと思われます。
(2) モンテッソーリ教育も、「集中力」の養成に大きな役割を果たしたと考えられます。
ご存じの方も多いと思いますが、モンテッソーリ教育の保育園・幼稚園では、一人ひとりの園児の「自主性」を重んじていて、その日に何をして遊ぶかも、児童一人ひとりが “自分で決める” スタイルをとっています(一般的な保育園・幼稚園が「団体での行動」を前提としているのに対し)。
好きなことに好きなだけ熱中する。
モンテッソーリ幼稚園での聡太少年は、「ハートバック作り」遊びに夢中になっていたそうです。
※「ハートバック作り」のイメージは、こちらの動画でご覧いただけます。
ここでのポイントは、ハートバックは紙を “織り込んで” 作っていく、という点です。
“織り込む” という動作は、目で見えない&見えていない部分=「 視覚が一時的に制限される部分」を「頭の中でイメージ」しながら、進めていくという作業です。
その作業は、大人にとっては容易でも、3~5歳の子どもにとっては根気のいる難易度の高い作業だと思われます。
(1)藤井家の基本方針と(2)モンテッソーリ教育により、藤井五冠の驚異的な「集中力」の基盤が整えられた。
そして、(3)知育玩具キュボロと(4)迷路創作により、「脳内イメージ力」が鍛えられます。
(3)知育玩具キュボロは、聡太少年がモンテッソーリ教育を施す幼稚園『雪の聖母幼稚園』に入園した年のクリスマスプレゼントとして贈られたスイス製の木製玩具。
キュボロは、木製の立体キューブを組み合わせてビー玉が通るルートを作り上げる玩具です。
キューブには穴が空いているパーツがあり(穴開きパーツが大半です)、それを活用すると “トンネル” を作ることができます。
この目では見えない=「 視覚を制限する」 “トンネル” 部分を 「頭の中でイメージし想像して作る」 という行為が、4歳の聡太少年の「脳内イメージ力」を鍛えるのに、大いに役に立ったことと思われます。
「視覚の部分的な制限」 ⇒ 「脳内イメージで補足」 ⇒ 「思考力・集中力の発達」との一連の流れが、幼い聡太少年の「脳内」で起こり、「思考回路の強化・鍛錬」につながっていったと推察されます。
※トンネル部分の実際のイメージは、こちらの(一社)日本知育玩具協会による「2分10秒程のキュボロの動画」をご覧いただくとわかりやすいです。
(4)迷路創作は、5歳の聡太少年が将棋に初めてふれた頃に同時に、夢中になって取り組んでいた “遊び” の1つ。
新聞のチラシの裏などに、 “手書き” で自作の迷路を、夢中になって描いていたそうです。
迷路創作も、キュボロ同様に、一見では捉えられない=「 視覚に依存することを制限する」 複雑なルートを「頭の中でイメージしながら」作り上げていく遊び。
こうした数々の “遊び”をとおして、聡太少年の「集中力」と「脳内イメージ力」は、鍛えられていきました。
プラス、「 視覚を制限する・視覚に依存し過ぎない」ことによって、「頭の中(=脳内)でイメージを想像する・作り上げる」という思考回路を強化する類いの遊びに、「軽負荷 ⇒ 中負荷 ⇒ 重負荷 」との適切な順番で出会ってきていた、という点も見逃せません。
その一連の流れが、奇跡的なまでに見事に “自然に” 整っていた。
“自然に”整った理由は、乳幼児期から幼児期にかけての聡太少年が、「自分の資質・特性に合うモノやコトを、自分自身で選ぶこと&夢中で遊び続けること」ができたからなのではないでしょうか。
その必然のような偶然(あるいは偶然のような必然?)があった上で、聡太少年は(5)習い事=将棋教室に入会し、そこでいよいよ『目隠し詰将棋』との “運命的な出会い” を果たしたのでした。
以下は、藤井五冠の「初」の対談本であった書籍『考えて、考えて、考える』丹羽宇一郎・藤井聡太共著より、『目隠し詰将棋』に関する部分の抜粋・引用内容になります。
(P143~144より)
丹羽
藤井さんは、「読みのスピードが速い」と評されているそうですが、詰将棋で鍛えられていたんですね。藤井
「ふみもと子供将棋教室」では、詰将棋をある程度解けるようになった後は、目隠しをして詰将棋を解いていました。先生が駒の位置を読み上げます。頭のなかに盤とその局面を浮かべて、駒の「利き」(駒が動ける範囲、動ける先のマス)などを把握するというのは、実戦でもよくやる大事なことなので、それをスムーズにできるようにするためのトレーニングにもなっていたんでしょう。慣れてくると、目をつむっていてもときづらくはなかったです。
『ふみもと子供将棋教室』には数多くの子供たちが通い、その誰もが『目隠し詰将棋』のトレーニングを行っている。
そのカギを握るのは、上掲引用文章の次の行かと。
~慣れてくると、目をつむっていてもときづらくはなかったです。
藤井五冠本人はサラッと言ってはいますが、目隠し詰将棋に限らず、「頭の中のイメージのみで考える」という思考法は、普通の幼稚園児・小学生の子供にとっては、極めてハードルが高いことであることは、容易に想像がつきます。
他の誰でもなく、聡太少年だけが『目隠し詰将棋』に内在する真の可能性を “ものにする” ことができた。
その背景には右の 『』=温かく見守る,『』=視覚の制限,『』=視覚の抑制 の三種類のマークが付いた「藤井家の幼児教育」のプロセスが、「特別な能力(脳力)」を開花させるための「土壌・基盤」としてあったからこそ、と推察します。
プラス、重要な点は以下のポイントです。
藤井五冠のデビュー当時、“第一次藤井ブーム” と呼ぶべき現象が起こった際に(3)の『キュボロ』がかなり話題になったり、それ以降現在に至るまで(2)モンテッソーリ教育が脚光を浴び続けていたりもします。
子育て・育児の観点から、「わが子を藤井聡太のように!」という願望も相まって。
ただ、そのようなニュアンスを含め、藤井家の幼児教育の実例としてモンテッソーリ教育やキュボロのことが取り上げられるケースの多くは(というかほぼすべてかな?)、単に藤井聡太さんが幼少の頃に「通っていた」「ハマっていた」という “事実の紹介” に留まっています。
それはあたかも、「AI・人工知能」が、局面を「点」の集積として捉えているのと似かよっているように感じられます。
それに対して人間は、局面を一連の「流れ」の中で捉えます。
いま眼前にある局面は、この局面に辿り着くまでに経てきた数々の局面と密接な関係性を持っており、それは「線」としてつながりを成していると。
現在、大半のプロ棋士は将棋の研究にAIを用いていますが、その活用法は次の二通りに大別されます。
一つは、AIの指し手を暗記する方法。
もう一つは、AIの指し手を単に鵜呑みにはせず、その「意味」を自分なりに考え咀嚼する方法。
前者の方法とは、AIの示した指し手・局面を「点の集積」として暗記していくやり方で、その方法では「自分の身に付く=応用が効く」という感覚を得ることは、難しいかと思います。
それはまた、単に “事実の紹介” という「点の情報」を集めたことと同じで、その情報をそのまま自らや自らの子供に当てはめてみたとしても、藤井五冠のようになれるわけではありません。
藤井五冠と同じような感覚を得たいのであれば、後者の方法を採択し、「点」として示されている指し手・局面や “事実の紹介” の裏にある「意味」を自分なりに考え咀嚼し、点と点を結び付けて「線を描く」プロセスをしていかなければなりません。
同様に、藤井五冠の天才性とその異次元の強さを読み解くプロセスもまた、一つひとつの要素・情報を別々の点の集積としてみなすのではなく、それらの間に「つながり・関連性」をもたらすような《ある視点》を導入することができれば、その答えに辿り着けるないし近づける、と考えたのでした。
そのようにして導いてみたのが、以下の『時系列のプロセス』であり、《視覚を制限・遮断することにより「より深い集中力」と「脳内イメージの活用能力」を得る》という視点の導入でした。
- 藤井家の基本方針(0歳~3歳)
- モンテッソーリ教育(3歳~) +
- 知育玩具キュボロ(4歳)
- 迷路創作(5歳)
- 習い事=将棋教室(5歳~)
プラス、『目隠し詰将棋』鍛錬法の積み重ね。
へと。
藤井五冠が「瞑目沈思」している姿・様子をよく見せるのは主に、「記者会見時」などで質問を受けて「思考を巡らせているとき」になります。そのことは、集中モードに入っていない状態の時に「思考を巡らさせる・巡らせよう」として、「脳にスイッチを入れる」際に見られる動作なのだと捉えられます(イチロー選手のルーティンと同様に)。対して、対局中は基本的に「常時集中モード」に入っているので、モードチェンジを促すスイッチ的な動作である「瞑目=目を伏せる・閉じる」をする必要性は “特にない” のかと。
プラス、対局中に本当に集中している際には、たとえ客観的に見て目を開いているとしても、藤井五冠本人の脳内には眼前の景色はなく、その思考領域内では「超高速で符号が飛び交っている世界」が展開されているのではないでしょうか。
※参考にまで、藤井五冠同様に「符号読み」もするもう一人の棋士・羽生九段が、対局中でない場面で思考に沈んでいる際の情景(目の色)を、書籍『超越の棋士羽生善治との対話』の著者は以下のように描写しています(以下、当該部分の抜粋・引用)。
(P37より)
~前略~ それは情熱的に輝いているというのではなく、死んだようにくすんでいるのでもなく、白いのだ。目の前にあるものを見ているようで見ていない、その向こう側にあるまったく別のものを見ている‥‥そんな無機質で透明な白い眼に、軽い衝撃を受けた。
羽生善治の震える手の理由とは
当記事では複数の仮説を示してきましたが、最後に、最も大胆か?と思う仮説を提示し終局とさせていただきます。
藤井五冠と同じように、脳内で将棋を「符号」で考える術・特殊技能をもつ羽生善治九段。
その羽生九段は、藤井五冠と異なり、幼少期に「目隠し詰将棋」をくり返すという訓練は経ていません。
それでも、羽生九段は他の棋士たちとは異なり、藤井五冠同様の「脳力」を持ち得ている。
逆にいえば、幼少期にそれを身につける “特別な機会” に恵まれなかったにもかかわらず、そのような「特殊な能力=脳力」を獲得してきた羽生九段に「凄味」を感じます。
想像するに、「超脳力」を幼いうちに自然と身につけた藤井五冠は、呼吸をするかのようにその特殊能力を自在に発揮することができるのではないかと、一方、羽生九段はその脳力を発揮するためには何かしらの条件をクリアしていく必要があるのではないでしょうか。
「ゾーン体験」を得たことがあるアスリートの話しはよく耳にしますが、その体験はある特定の機会に限られている場合が大多数だと思います。
「ゾーン体験」をくり返せるということは、それだけ特別&特殊なことなのだと。
羽生九段が超天才である由縁は、そのようなゾーン体験と同等と捉えらるであろう「符号での思考法」の領域に頻繁に辿り着く術を、何かしらの方法で体得している点に見出せるのではないかと。
ただし、羽生九段は、藤井五冠のように呼吸をするかのように自然には、その領域に達することはできない。
そして、達した地点から元の地点(=普通の状態)に戻ることもまた、ごく自然にスムーズに行えることではない。
その地点に到達するためには、思考の海に深く深く潜行していく必要がある。
辿り着いた思考の深海の淵から、陸上(=通常の世界)へ戻っていく時にはまた、息の続かない苦しい瞬間が訪れるのかもしれません。
若いうち(20代の頃)は、脳内の呼吸の感覚が持続できたのではないでしょうか。
それがある時から、思考の深海の淵から浮き上がってくると、脳内の呼吸感覚に乱れが生じるようになった。
「勝ち筋を確信する」ということは、思考の深海の淵から浮上をし、通常の思考の世界に立ち戻ることを意味する。
勝ち筋を確信し、脳内のスイッチは自然と切り替わる、でも‥‥ 身体感覚(指先の感覚)はその切り替えに対応するのに時間がかかってしまう。
羽生九段本人が、自身の指が震えていることに無自覚である自覚が薄いのも、頭=脳と身体の感覚の間に一時的にズレが生じているから、なのではないでしょうか。
「間違いがないようにと感じてか‥‥」というような声・意見もありますが、そのような緊張感から手が震えているのであれば、本人によりハッキリとした自覚があるのではないでしょうか。
ここでは、羽生九段本人に「自覚があまりない」事例として、以下のインタビュー記事を紹介しておきます。
以下、雑誌《 Number 1018 令和3年1月21日号『藤井聡太と将棋の冒険。』 》の記事からの抜粋・引用。
(上掲『Number』特集記事 27ページより)
[スペシャルインタビュー] 羽生善治 さらなるフロンティアを目指して
北野新太(スポーツ報知)=文
~前略~-今回も着手の際に指先を震わせる場面が何度もありました。ただ、今までよりさらに激しく震えていた。なぜでしょう?
「えっ、そうだったんですか?自覚は全くありません。指先が震えることは稀に起きることで、勝ちを確信したから指先が震える、ということがクローズアップされるんですけど、手が分からなくなるから、ということもあるんです」
とのことで、やはり羽生九段本人は、自覚はあまりしていないようです。
手が震えるのは、「勝ちを確信したから」もしくは「手が分からなくなるから」。
そのいずれも、深く深く集中していた状態・モードから、「ホッ」と安心して、もしくはあまりの混沌状況から思わず「フゥ~」と一息つこうとして、“急に” 通常モードに戻ってしまうことによって、脳と身体の感覚にズレが生じてしまうのではないか?
それは、フリーダイビング競技で、深海まで深く深く潜った後に、急浮上をしてしまうと意識障害などの異常をきたす “潜水病・減圧症” と似た現象なのではないかと推察します。
潜った地点(深海)に留まっている時より、元の地点(陸上)に戻る際の “過程・プロセス” にこそ危険が潜んでいる。
そのことを羽生九段の状況に当てはめてみれば、次のように推察できるのではないでしょうか。
「読み」を続けていて “集中モード(=深海モード)” が発動している際には、危険(指の震え)は起きず、負けを覚悟しながら(急浮上でなく)徐々に “通常モード(=陸上モード)” へと立ち戻っていく際にも、危険な状況は訪れない。
集中して思考する状態とは「深く潜っていく感覚」。
棋界のレジェンドたる羽生九段がそう喩えていることを鑑みるに、次のように感じるのでした。
勝利を確信した際に震える羽生九段の指もまた、脳の力の不可思議さ奥深さを物語ってくれているのではないかと。
藤井聡太が示す可能性(再び)
藤井聡太棋士の天才性と強さの理由を読み解く。
多くの人が関心を抱くその営為は、数年前までは別の人を対象に行われていました。
言うまでもないですが、その別の人とは、羽生善治九段のことです。
長い長い間、棋界のプロ棋士だけでなく、文学者・俳人から経営コンサルタントや脳科学者まで、ありとあらゆる分野の方々が、その巨大な才能の謎に迫ろうとしてきました。
かくいう当記事筆者の私も、その過程を追っていた “羽生ウオッチャー” の一人でした。
羽生さんは本当に長きに渡って、棋界のみならずあらゆる分野を代表する明晰な知性の「トップ・オブ・トップ」として、畏怖すべき能力・才能とその英姿を示し続けてくれています。
おかげで 、あれこれと調べてみたり推察したりする時間はたっぷりとありました。
仕事・業務で人材育成に携わる機会を得たこともまた、「人の能力・才能とその可能性」について、想いを巡らせるよい契機となりました。
そのような感じで、《才能と脳》の関係性や、“楽しい!” という《ワクワク感とモチベーションと行動実績》の結びつきなどなどに、自然と関心が広がっていきました。
そうしたなかで、天才の中の天才といえる「超天才」たちのことを知り&調べると、彼らには「超脳力」と言うべき特別な能力・脳力があるという事実を得ます。
「なるほど!」と感じ、得た知識を「少しだけでも子育て・育児にも応用できないか!?」と、日々実践を続けていた時でした(現在も継続中)。
藤井聡太棋士が史上最年少プロ棋士として登場し、あの羽生さんを凌ぐかのような圧倒的な天才性を、示していきます。
「人の能力・才能とその可能性」に関心がある身としては、藤井聡太棋士の登場は見過ごせない出来事でした。
そのようにして「藤井聡太さん」のことを調べ&知るにつけ、次の想いを抱くようになりました。
- 彼こそが、人・人間が持つ可能性=人間の脳が秘める能力・脳力を、体現し顕在化してくれている存在なのではないか
- 彼の幼少期にこそ、人(子供)が持つ才能・天才性を開花&成長させる秘訣がある
二点目の秘訣については、特段難しいことではなく、偶然性や環境に左右される面はあるにしても、どんな家庭でも実践できる内容でもあると考えます。
その点については、以下の当ブログの2つの関連記事を、ぜひ参照ください。
《本ページはプロモーションが含まれています》 【あ劇場©】へようこそ。 本日の晩婚パパの《コーチング的育児実録》の演題は【藤井聡太さん母の幼少期の教育方針はウチと同じ?!子供の集中力を高めるコツ】です。 本日は、我が家の小学3[…]
《本ページはプロモーションが含まれています》 【あ劇場©】へようこそ。 本日の演題は【藤井聡太一家の幼児教育の具体例などに「理想の効果」や「大切なこと」を学ぶ】です。 幼児期・幼少期の子を持つ親であれば誰もが願うこと、それは「[…]
藤井聡太棋士の天才性と強さの理由を読み解いていくと、上述のような様々な過程を経て、脳の特別な世界「超脳力」の世界に辿り着いたのでした。
藤井五冠と羽生九段の両雄による、超天才・棋界が誇る二大スーパースター対決となる『第72期王将戦』の開幕を楽しみにして、ひとまず筆を置きたいと思います。
当記事の公開は『第72期王将戦』の開幕前の昨年末でしたが、現在も追加加筆を続行中です。
棋界が誇る “二大スーパースター対決” にふさわしい名勝負が展開された今期の王将戦は第6局(2023年3月11・12日の両日に開催)で閉幕となりましたが、現状、下書き段階の内容もまだある状態です。当記事の内容に興味をお持ちいただけた方は、気が向いた時にまた来訪いただけると幸いです。
(※最新更新日は、最上部の記事タイトル下に記載があります)※下書きの一部は、分量が多くなり過ぎたこともあり、別記事として切り分けて作成しました。
以下、1月31日に公開した当記事の関連記事となります。
藤井聡太一家の幼児教育の具体例に理想の効果や大切なことを学ぶ
こちらの記事では、藤井五冠の才能がいかに育まれていったかのプロセスを考察しています。よかったら、ぜひご一読ください。