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本日、2021年02月15日の晩婚パパの育児日記の主な演目は以下です。
子供が不得手もすべき意味を《考える力・プラス講座》に向き合う姿で納得!
子供には子供が好きなコト・得意なコトをさせるべき。
子供ファースト主義をモットーとして育児をしている僕は、その観点を大切にしています。
その一方、「不得手も排除すべきではない」とも考えています。
本日は、その考えの確かさを実感させてくれる出来事が複数ありました。
1つは本日の育児日記の主テーマの《考える力・プラス講座》の件。
もう1つは、本日・月曜日の習い事の《体育教室》の件でした。
特に、《考える力・プラス講座》の件では、「お~」と感心する出来事がありました。
本人としては何気なく自然にそうしたのでしょうけど‥ この一連のプロセスを、まだ小学校2年生にして行ったということは、相当にスゴイことだと感じました。
また、こうした“思考プロセスを辿ることができた” ということ自体もスゴイことですが、その結果、“一定の目標をクリアすることができた” という過程を実際に経験できたことが、とても大きな成果だと思います。
こうした経験とアイデアを、自分自身の頭で考えて実際に行動して成果を挙げた。
小学校の低学年だからこそ、この経験は無意識的にも、身体に沁み込むであろうと思います。
そして、幼いうちにこの感覚を身体に沁み込ますことができたことはきっと、これから、あおば(ウチの子供)が成長して様々な障壁に出会いそれを乗り越えていく際の大きな糧・自信につながっていくと思います。
「工夫をして対処法を考えれば、乗り越えられないことはない筈!」
と想える基盤となって。
障壁を乗り越えていくための基盤となる力は、障壁を乗り越える経験から培われる。
ここ近年注目度が増している『レジリエンス』能力。
回復力・復元力や“立ち直るためのしなやかな強さ”などを意味するこの『レジリエンス』という能力も、まさしく障壁を乗り越えた体験によって鍛えられていくのだと思います。
「自分なら、この状況から回復することができる筈!」
と感じられる基盤ともなって。
得意な面をドンドンと伸ばしていく、得手なコトで成果を積み上げていく、というのは全くもって正しい方向性だと思います。
ですが、その一方、そのプロセスだけだと不得手なコトに出くわした際の対処法・解決方法を身に付けることは出来ずらいと感じます。
ですので、適正な比率まではわかりませんが、得手を伸ばすアプローチをメインとしつつも、ある一定の割合で、不得手なことにも取り組む必要性は確かに「ある」のだと考えます。
ウチのあおばにとっては、《考える力・プラス講座》が、まさにその役目を担ってくれています。
《考える力・プラス講座》の向き合い方の本日の具体例
今冬は、週末の土日もスキー教室に通っていることもあり、あおばの習い事などのスケジュールは忙しくなっています。
それもあってか、《考える力・プラス講座》の1月号の本来の提出期限の1月31日をだいぶ過ぎてしまった本日になっても、まだテキストをやり終えていませんでした。
テキストのやり残しは後わずか2~3ページなのですが、それらのページを含め残りページ数が10ページを切ってからのペースダウンが著しいようです。
どうも、得手な内容からドンドンと手を付けているうちは良いペースで進んでいくのですが、不得手な内容のみが残る状態になってから時間が掛かってしまうようです、毎度のことながら(苦笑)。
その点に関しては、本人もシッカリ認識はしているようです。
でも、ちゃんと “ママとの約束” を守る必要性も同時に、シッカリ認識しています。
“ママとの約束” については、当育児日記の こちらの関連記事にその内容があります。
進研ゼミ小学講座《考える力・プラス講座》赤ペン先生もんだいを提出
その内容を該当記事から引用します。
「えらいなぁ」と思ったのは、赤ペン先生もんだい は、テキストを完了するまで手を付けなかった点。
その点は、ママがあおばと話しをして決めたルールだそうです。
ルールを定めた理由は、以前テキストを完了する前に《赤ペン先生もんだい》を提出した際に、テキストを最後までやり切らなかったことがあったためだとか。
ルールができた過程はともかく(苦笑)、それを守っているのは立派だと思います。
そうなのです。
この“ルールを守る気持ち”をちゃんと持っているので、テキストをやり終えるまでは、提出課題にも手を付けないでいるのです。
でも‥ そうしているうちにだいぶ日数も経ってしまった・・
そこで、今回あおばは、ある対処法を考え出しました。
そして、ママに次のように 『交渉』 をしました。
後、残っているのは国語のこの問題のページだけなんだけど、このタイプの問題はやるのにいつも時間が掛かってしまうから、今回はこの問題をやるのを後回しにさせてくれない?
提出課題の問題はテキストの問題より簡単だから直ぐにできるから、提出課題を先にやらせてもらえれば、今日体育教室へ行く前に仕上げて、今日中に課題を提出することができるのだけど・・
と。
う~ん。随分と巧妙な内容。
どこでこんな 交渉術 を覚えてくるのでしょうか?(笑)。
これにはママも納得したようで、今回はルールを一旦保留としたのでした。
そして、交渉内容どおりにあおばは、本日中に課題を提出しました。
ちゃんとその約束を守って、立派でした。
ちなみに、あおばが不得手に感じているタイプの国語の問題とは、あおばの自己分析によると以下のような問題だそうです。
問題文を読み、その内容についての設問に対する回答を短い回答欄に書き込むタイプの問題。
「書き込むタイプの問題は、当然ながら選択問題より難易度がグンとアップするので、それでなのかなぁ?」
と最初は考えたのですが、よくよく話しを聞いてみると「そうではありません」でした。
筆記問題全般に対して不得手の意識があるわけではなく、ある特定のタイプ=上述のタイプの設問というか回答欄タイプのみに対する意識なのだそうです。
「回答欄タイプって?」と再び疑問を感じ、もう1歩踏み込んで聞いてみて、ようやく理由がハッキリとわかりました。
あおばとしては、次のように感じて、「手がなかなか動かなくなってしまう」のだそう。
問題文を読む中で、自分は様々な点に対して気づいたり・感じたりした点が出てきていて、それらのことについて色々と書きたいのに、回答欄が小さすぎて書ききれない。
それで、「どの点のことのみに絞って書けばいいかを考えるのだけれど、どれもが関係・関連していると思うから決めきれなくなってしまい、悩んでしまう」
というニュアンスの返答でした。
書くべき回答内容が浮かばなくて苦心しているのかと思いきや、全く逆の問題でした。
書きたいことが沢山あり過ぎて絞り込むのに苦労し悩んでしまう‥ ということのようです。
あおばは大の本好きなので、読解力もそれ相応に高いはず。
なのに‥「問題によっては答えを書き出すことをなぜ躊躇うのか?」
と、結構長い間「 不思議だなぁ?」と感じていた点がようやく理解できました。
それにしても‥ こうした理由で鉛筆が止まっていたとは意外でした。
得手・不得手の感じ方って、本当に十人十色で様々なタイプがあるのだなぁ、と腑に落ちました。
であればこそ、やはり! 得手にばかり取り組ませていたとしたら、子供が不得手と感じる部分を理解することができないと思います。
親として、子供をより良い方向へと導いていく(=コーチングしていく)ためには、その子が不得手に感じることは「どんなことなのか?」ということを知っているほうが良い。
その意味でもやはり、《得手なコトだけをする》というのは得策ではないと感じます。
子供が不得手もすべき意味は体育教室からも
先でもふれましたが、本日は《体育教室》の習い事もありました。
本日の感想をあおばから聞いてみたところ、次のような感想と共に、「お約束」の返答もありました。
今日はいつもより、スポーツ鬼ごっこを多くやったよ。
時間もあっという間で、、今日は 『30秒』 ぐらいしか経っていなかと思っちゃたよ~
と。
先週の月曜日(2/8)の育児日記でもふれましたが、体育教室で過ごす時間は「楽しすぎて!」とても短く感じているとのこと。
実際には毎回、約1時間半。
なのですが、今年の最初の時はママが迎えに行くと、(楽しすぎて)「10分ぐらいしか経ってないと思った」との話しが。
それが、その次回には「5分ぐらいしか経ってなくない?」となり。
3回目には「まだ、3分ぐらいじゃないの?」となりました。
4回目の先週に至ってはそれが「え!? 1分ぐらいじゃない?」となっていたのに対し、本日は遂に(?)秒単位に突入してしまいました。
「え!? 30秒ぐらいじゃない?」というお約束の台詞とともに(笑)
さて、本日は、 こんな出来事もあったそうです。
こちらの《体育教室》、普段は帰りの挨拶を5年生か6年生が号令をかけているそうです。
ところが本日は、先生に
と声をかけられて、あおばがやったのだそうです。
こういう時に、動じないのはあおばの特長。
先生もそれを見て取って、声をかけたのだと思います。
元々は超がつくほどのインドア派のあおば。
そのため、運動系はどちらかというと不得手な感じでした以前は。
それが、スキー教室やこちらの体育教室にお世話になるにつれて、だいぶ変わってきています。
僅かここ2~3ヶ月だけの間でも、大きく成長を遂げていると感じます。
だからこそ積極性も増して、《体育教室》もとても楽しく感じています。
その「楽しい!」という想いが伝わっているからこそ、今日は先生があおばに異例の声掛けをしたのではないかと感じました。
そのようなわけで、不得手気味だった運動系も、続けている効果がちゃんと現れていると思うのでした。
体育教室の出来事のほうは、“考える力”が伸びたこととの結び付きは特にはないとは思います。
そちらについては、不得手的なコトにも一旦は取り組んでおくべきという観点が主。
子供の場合は、取り組みのプラス効果の有無がかなりの速度で立ち現れるので、継続すべきかどうかの判断もつきやすいと思うとの話しでした。
本日の育児日記のシメに、《考える力・プラス講座》の件を今一度。
この進研ゼミの《考える力・プラス講座》は、手強い骨のある良問が揃っているので、それに取り組む子供に、“真剣に考える力” を求めてきます。
だからこそ、あおばもそれに応じて様々なコトを考えて対処法を工夫したのだと思います。
それは、《テキストの問題を解く》という範疇を大きく超えて経験だったかと感じます。
ちょっと大袈裟かもしれませんが、そういう部分も確かにあったのではないか。
そんな手応えを感じさせてくれるのは、相手が手強いからこそでもあるのではないかと思います。
そしてなにより、手強い相手=《考える力・プラス講座》に、頑張って向き合っている姿が立派だと。
頑張っていてエライね!あおば。