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本日、2021年06月03日の晩婚パパの育児日記の主な演目は【小3で初めての書写の授業が始まり遂に文字を!】です。
本日、あおば(ウチの小3の子供)は、学校の書写の授業の3回目で遂に?! 初めて「文字」を書いたそうです。
ちなみに、祝『初!』の文字となったのは「ニ」だったそうです。
小学校の書写の授業の進め方に『丁寧さ』を感じ好感を
ウチの子のあおばは一人っ子で他の兄弟・姉妹と比較することができないこともあり、あおばの通っている小学校の書写の授業の進め方が特別丁寧なのかどうかは、よくわかりません。
まぁ、兄弟・姉妹がいたとしても同じ小学校に通っていれば違いはないような気もしますが(笑)。
それとも、同じ小学校でも教える先生により変わるのでしょうか?
こうして改めて考えてみると、《学校》って子供の教育に関してはとても大きな役割を担ってくれているのに、実際に小学校ではどのような方針・指針で持って授業が運営されているのかという、とても根本的なことを理解していないことに気づかされます。
自分が不勉強ということもあるとは思うのですが、その点を差し引いても一般的によく理解されていない点でもあるのではないかと感じますが、いかがなものでしょうか?
大きな基本方針は文部科学省が決めているとして、実際の現場での授業の運用の細かな内容というのは、どうなっているのでしょうかね。
ちょっと気になるところではあります。
閑話休題。
さて、話題がちょっと大きく成り過ぎそうなので元に戻します。
おそらく、授業の進め方にはある程度の裁量権が先生にあるはずなので、当記事で取り上げている《小学校3年生の初めての書写の授業の進め方》についても、先生ごとの “個性・考え方” というモノもある程度は反映されているのだとは思います。
とはいっても、《参考授業》という制度もあって、先生同士で評判の良い他の先生の授業を参観して参考にする例もあるそうなので、そのような事例を通じてある程度は自然と定型化というかモデル的な形は整っていく・いるのではないかとも思います。
ということで、あおばの通っている小学校の書写のこれまでの3回の授業は、以下のような流れで行われたそうでした。
- 1回目『オリエンテーション』:筆や硯など書写セット各種の使い方・片付け方など
- 2回目『筆の使い方』:文字(=漢字)ではなく、線や丸などの図形を書いて筆の使い方に慣れる内容
- 3回目『初めて文字を書く』:本日の3回目にて初めて文字を筆で書く
記事タイトルでもふれているように、初めての文字=漢字として選ばれたのは「ニ」だったそうです。
それって、2)の線を引く練習を、上下に2度書いて、多少線の長さを調整しただけとも言えなくもないようですが‥ でも、子供達にとっては、いや初めて筆を手にする初心者にとっては例え大人であっても、「違う」手応えが感じられるコトなのだと思います。
単に線が二本であれば、「=」←こんな感じですかね?
それが、文字=漢字で書けば「ニ」。
デジタルの文字入力でも、ちょっとした差は感じられるのですから、アナログな筆での手書きであれば、そこに生じる様々なニュアンスの違いは、やはり大きいと思います。
そのように考えてみますとやはり、「線を二本書く」ことと「『ニ』という漢字を書く」ことの違いは大きいと思います。
特に、小学3年生の子供達にとっては、実際の文字面の違いより、『漢字を初めて書いてみた!』という “気持ち” がもたらす違いこそが、大きな経験・糧となるのだと思います。
そして、そこに至るプロセスを丁寧に進めていただいた、あおばの小学校の書写の先生の姿勢には、個人的にとても良い印象を抱きました。
「書写と習字と書道」の違いなど言葉の違いについて
そのような感じで、書写の授業の話しをあおばから聞かせてもらっている中で、幾つか言葉の使い方が自分の子供時代と違うことも、改めて分かりました。
具体的には、次の違いがありました。
- 書写と習字と書道
- 墨液と墨汁
調べてみると、意外な事実もわかりました。
1)については、「書写と習字」は実は、ほぼ同じ内容のコトについて「別の言い方が存在」しているようなニュアンスです。
共に、見本となる字を写し取る・真似るというコトです。
微妙なニュアンスの違いという点では、「書写」には写経の際に使われる用語的な色彩が濃い面がある、というところかと。
その「書写と習字」に対して「書道」は別のモノで、「書道」においては “見本の字を写す” という考え方は「しない」とのこと。
改めて調べ直しをしてみて、納得いくところがありました。
意外だったのは、実は昔から学校で習う教科としては「書写」が正式な呼称であったことでした。
それも僕が生まれる前の昭和30年代から、実はそうであったという事実です。
ですが、昭和40年代生まれの僕の時代も、50年代生まれのママの時代も、小学校では「習字」という言い方をしていました。
慣習というのも面白いものだと、そして時には厄介なモノだということに、改めて目を開かされたように感じます。
墨液と墨汁について
一方、「墨液と墨汁」については、こちらは物質的なモノとして違うモノでした。
僕やママの時代は「墨汁」と言っていたことで一致はしたのですが、もしかしたら、「墨汁」と言っていただけで、実は中身は今で言う「墨液」だったのかも知れません。
具体的は違いは、次のようになります。
- 墨汁:100%精製膠(書道教室においては)。
- 墨液:合成樹脂(ボンド)などの化学物質が合成されているもの
より具体的なその差異については、書道家の方のブログに詳しい内容がありましたので、抜粋・引用します。
引用内容出典先:武田双鳳の「そうほう録」|【墨液と墨汁のお話】
書法道場の墨汁は、
100%精製膠(にかわ)。煤の粒子の大きさにもこだわり、
一般の10倍~30倍以上細やかものに。精製膠、粒子微細のため、
伸びも香りも発色も佳良。筆を洗えばスグに墨が落ちます。
1週間洗わなくても、筆が固まりません。
合成樹脂(ボンド)入りの墨液であれば、
1週間どころか、1日も洗わなければ
筆はカチカチに固まってしまいます。
なるほど。
似て非なるモノであることがよく分かります。
ちなみに、あおばの小学校では授業の最初から「墨液」を使っているそうで、墨を磨ることはしていないそうです。
僕の頃は学校の授業でも一応、墨を磨っていたような気がするのですが‥ 昔のこと過ぎては記憶が定かではありません(苦笑)。
ということで、当章の結論は以下でありました。
「墨液と墨汁」は別物。
「小3で初めて書写の授業が始まり3回目にして筆で字を~」その過程を一例として
本日は、あおばが小学校3年生に進級して小学校入学後に「初めて」始まった『書写』の授業における第3回目の授業がありました。
そして、その3回目の授業にて「初めて」毛筆を使って漢字の文字を書いた、とのこと。
その文字は「ニ」というとてもシンプル文字であった。
こうした一連の内容の話しをあおばから聞き、僕が感じた印象を一言で表せば次のようになります。
ですが、その印象は何も今回の一連のアプローチに対してだけの印象ではありません。
どの教科の教科書を見ても同じように、今の教科書は「とても丁寧に創られているな~!」と感じます。
そうした印象を僕はこれまでも度々、あおばに語っています。
というような感じで。
すると大抵、あおばからは
といった感じの答えが返ってきます。
昔のコトを実際に知っているわけではないので、そのアリガタミがどこまで伝わっているのかは分かりませんが、自分のおかれている状況を素直に「楽しい!」と感じていてくれて、とても嬉しく思っています。
たまに、僕があおばからの質問に答えられないと、
な~んていう感じの “憎まれ口” を利いてきたりもしますが(笑)。
書写の授業ではその後、次のような字を書く授業内容となっていったそうです。「初めて」毛筆を使って文字を書いたのは漢字の「ニ」で、その次は「二」に一本だけ線を足した「土」であったそうです。
その話しを聞いた時は「なるほどね~」と素直に感心してしまいました。
「 二 」+ 「|」=「 土 」なのですね、書き順的には違いますが(笑)。
「 十 」+「 一 」=「 土 」だと書き順的ですけど‥
書写の時間なので、書き順は正しく後者の書き順で書いたことと思います。
ですが、発想的には前者の「 二 」+ 「|」=「 土 」となる漢字の意味の変化の仕方のほうが面白く、子供たちも「へぇ~ そういえばそっか~」と面白く感じたのではないかな?と想像してみたりもしました。
こうした先生の教え方のちょっとした工夫で、子供たちの興味・関心がより広がっていってくれるとよいですね。
その後の授業では、「日」や「木」や平仮名で「つり」などを書いたそうです(習った順番は未確認)。
ちなみに、2022年の「書初め」の授業では長めの半紙を使って「はつ春」と書いたそうです。
本日は、あおばの世界がまた広がっていく可能性を感じる2つの出来事がありました。
そのため、本日の育児日記は《二部構成》になっています。
1つは《小3で初めての書写の授業が始まり遂に文字を!》との話題(当記事)。
もう1つは《『ねこ戦三国志にゃんこ』が子供の歴史観に変化をもたらす?》との話題です。
《『ねこ戦三国志にゃんこ』》の話題は、 こちらより。
【あ劇場©】へようこそ。 本日、2021年06月03日の晩婚パパの育児日記の主な演目は【『ねこ戦いくさ三国志にゃんこ』が子供の歴史観に変化をもたらす?】です。 あおば(ウチの小3の子供)は、大の本好きの延長上で《大の歴史好き》にも。[…]