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本日、2021年10月19日の晩婚パパの育児日記の主な演目は【小学生の高読解力のメリットは国語に留まらず!小3にして英語も問題文を読み解いて対応!】です。
本日は、ウチの小学3年生の子どもの「あおば」のオンライン英会話の習い事がありました。
そのレッスンで宿題が出されることは珍しいのですが、今回は宿題あり。
しかも、先生の手違いで “英語レッスンで一度もふれていない内容に関するプリント” が出されていたそうです。
で、あおばも
と、ボヤいていたのです。
ですが、蓋を開けてみると、その宿題のプリント全13問すべて「正解!」だったとのこと。
そう聞いて驚いて、子どもからその過程をよくよく聞きだしてみると、その「カギ」を握っていたのは《母語の国語(=読書)で培った読解力》だったのでした、英語力では「なく」。
読解力は必須能力・学力の基盤の事実を再認識
読解力こそが全ての学力の基盤を成す。
国立情報学研究所社会共有知研究センター長・教授の新井紀子さんの一大ベストセラー『 AI vs.教科書が読めない子どもたち 』の主旨を簡潔に表すと、そう表現してよいかと思います。
新井さんは同書で、算数や数学の問題も計算力や数理的な理解力うんぬんの以前に、「問題文の内容をまず理解できていない」ことが「真の問題である」ということを示されていました。
本日、ウチのあおばは図らずも、「逆もまた真なり」であることを示してくれました。
「逆」というのは、 以下の点になります。
本日、あおばが対峙した問題は、まだ本文を読んだことが「ない」問題でした。
しかも!それが「英語」の問題で問題文も「英語」で書かれていた、ということも大きなポイントでした。
つまり、そのことは次のことを意味していると考えられるのです 。
本文の内容を知らなくても、「問題文とその選択肢から正解を推測する」。
小学3年生にしてそんな芸当を可能としたのは、問題文と選択肢との「組み合わせの意図」をシッカリ読み解く・読解する・解読する「力」があるからなのだと。
もちろん、日本人の小学生3年生向けの英会話レッスンの一環で出されている問題ですので、内容そのものや問題文の文章そのものは短く複雑なモノではありません。
それでも、全問(13問)正解したという事実は、まぐれなどではなく、この問題が出された内容の本文には「きっとこういう内容が書かれているであろう」と、問題文から読み解き推察する能力が必要なことは確かです。
親の僕も、「全問正解だった」という話しを聞いたからこそ!「読解力は必須能力・学力の基盤を成すということは事実なのだ」と再認識をしたのでした。
「小学生の読解力は読書で伸ばす」の落とし穴
一方、こうした「推察力を伴ったホンモノの読解力」を単に「読書」をするだけで身につけることができるのかといえば、そうでは「ない」と感じます。
そしてその点に、様々なところで目にする次の言葉に疑問を呈したいと思います。
小学生の読解力は読書で伸ばす
なお、それが間違えているというわけでは決してありません。
ですが、それだけでは「足りない」と感じるのです。
特に、小学生も低学年や中学年のうちは。
「足りない」点はズバリ!
という気持ちが
あるかどうか?
です。
「本好き」と読書家の違い-漫画も全然OK!
若年層での読書家というと、有名なところでは芦田愛菜ちゃんの「読書好き」は夙に知られたところではありますが、マナちゃんのような王道である必要は「ない」と感じています。
というか、「子どもを読書家に」という発想は寧ろ「毒」ですらあるのではないかと。
というのも、「読書家」という響きにはどうも「堅苦しさ」が付きまとうからです。
肝心なのは 楽しさ! 。
子ども本人が本当に「楽しい!」と感じているかどうか、です。
その見方に立つと、「本好き」と「読書家」は似て非なるモノ になります。
ですので、その方向へと導いていくことが目的なのであれば、「漫画」は全く問題ないどころかとても「有効なアイテム」であります。