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本日、2020年12月10日の晩婚パパの育児日記の主な演目は以下です。
子供の言動は想像の遥か上。育児の興味は尽きないが
子供の行動や発言に「えっ、どういう意味で言っているの?」と、驚かされることは多いのではないでしょうか。
幼い頃はその感性の豊かさや、まっさら真っ直ぐに物事を見て捉えている点に対して、よく驚かされていたように思います。
大人になって自分が忘れてしまっていたり、何処かに置いてきて失ってしまったりしてきた何か(感性・感覚)があるのかなぁ?と、気付きを与えられるようなことが、しばしばと。
少し長じてきた最近は、子供のほうもかなり知識を持つようになってきたので、こちらの感じ方もまた、だいぶ変わってきたように思います。
「えっ、どういう意味で?」との感じ方が次のように変化してきたかと。
以前は、「どんな風に世界を見ているの?世界が見えているの?」
最近は、「どうしてそんなことを知っているの?わかっているの?」に。
今日の驚きの発言は、温泉施設での1コマの中にありました。
晩婚パパの育児日記【2020年12月10日】
今日は、昨日録画していたFNS歌謡祭を“ゆっくりみよう!”という目的があり、夕食前の早目の時間に温泉に行きました。
FNS歌謡祭って4時間以上も放送しているんですね、しかも生放送で、驚きでした。
でも、あおばとママの目的は基本的に《嵐》なので、失礼ながらも他のアーティストはいわばオマケ。
“ゆっくり”と言っても、4時間分の録画を1時間少々で見終える予定。
ちゃんと視聴するのは《嵐》のみ、《嵐》をゆっくり堪能する、という意味なのです。
二人にとっては(笑)。
ちなみに、サブカル好き(元かなぁ?)の晩婚パパ的には“東京事変(=椎名林檎さん)”の新曲はよかった。あと、オザケンが健在というかむしろ当時より“味があって”よかったです。
その2つは、僕の意向(=お願)で、飛ばさずに観たので、もしかしたらあおばはちょっと不満だったかも・・(苦笑)
ですが、“お気に入り”以外の世界に少しずつでも触れていくことは、子供が自分の世界観を広げ経験値を高めていくために必要なこと。
その点については、親側が意識的に適度な頻度で、その環境を整えて機会を設けていくことが大切だと思います。
そうした意識も《コーチング》の大事な要素だと考えて、実践しています。
単に自分も“楽しみたい”部分もなきにしも非ずですが(笑)
《嵐》以外で、ママとあおばが一緒に「いいね~ 上手だね~」と見入っていたのは“三浦大知”さんでした。
彼の歌唱力とダンスの卓越さは確かにスゴイ!ですね。
僕も彼はお気に入りです。
あと、あおばが、嵐以外で唯一、
と、言ってきたのは“瑛人”さんでした。
小学校の校内放送でも、彼のヒット曲「香水」はかかるそうです。
育児の興味を掻き立て難しさも感じさせた子供の発言
子供の持つ“まっさらな感性”に驚かされる&学ばされることに1つに、《環境》に対する意識があります。
というか・・「ありませんか?」
いや、確実に「ある」と思うのですが、どうでしょうか。
あおばもその意識が高いのですが、この《環境を守らなくてはいけない》、そのことは《正しいこと・すべきことである》という意識は、子供達はみんなが持っていると思います。
なぜか、誰に教えられるまでもなく、生まれながらにその意識を持ち合わせているかのように。
残念ながら成長するにつれ、特に男性陣が顕著で男性は大いに反省すべきですが、“ポイ捨て”などを平気でする大人が増えることは厳然たる事実。
その一方、子供は幼いうちは誰もが、そういうことは“よくないこと”と分かっているようです。
もちろん、保育園や幼稚園での教育の影響は多大なものなのだと思います。
ですが、それだけではなく、子供の様子を見ていると、何か根源的に理解をしているようにも思えてくる、そんな気がしているのですが。
どうなのでしょうか。
あおばにも、そうした面がちょくちょく見られます。
温泉施設でのことでいえば、よく行く日帰り温泉(源泉100%かけ流しです!)の1つに、牛乳の自販機を設置している所があります。
その自販機を周辺を行く度にチェックしています。
目的は、瓶に巻き付いているプラスチック素材のラベルの確認。
ラベルが分別されていない瓶が瓶を入れるケースに入っているのを見つけると、そのラベルを剥がして、ゴミ箱に入れているのです。
「見つけたらそうしようね」と言ったことはないのですが・・
どのような動機なのかは未だ不明なのですが、なぜか自発的にやり始め、そしてやり続けています。
子供って、不思議とそういう部分がありますね。
あと、剥がしたラベルを、近くにあるご意見箱に捨てる人がいるようで(ゴミ箱と間違ってなのでしょうか?)、そのご意見箱の中も欠かさずにチェックしているようです。
今日も、そうしたルーティン(?)を一通りやり終えた後のようでした。
自販機に目を向けたあおばが、フルーツ牛乳の在庫が無くなっていることに気がつきました。
その自販機は、牛乳とコーヒー牛乳とフルーツ牛乳の3種を扱っています。
そして、最初は次のように言いました。
と。
と、僕。
大人としては当然ですが、僕は内心「タイミングの問題だよね」と思ってはいました。
ですが、そのことについては敢えて何もふれずにいました。
そこまでは、普通の流れでした。
すると・・ ほんのしばらく間が空いた後に、あおばが言いました。
と。
驚いて(ちょっと慌てて)、
と、尋ねてみたのですが・・
の一点張りで、具体的な考えは教えてもらえずじまい。
ちょっと慌ててしまったのが、敗因でした(苦笑)。
あおばは、独特な側面を持っています。
何かどうも・・ 「自分の気持ちを言葉にしなくない」と、感じる場面が結構あるようです。
それこそ、《嵐》の名曲(といっていいかなぁ?うん。いいでしょう)の1つ《復活LOVE》の歌詞の一節にあるように。
「言葉に出したら 壊れてしまう。そんな危うさ、きっと君は気づいてた」
どうも気づいているようなのです。
「いや、どうなのかなぁ?」と、大人としては思う部分もあるのです。
ですが・・・
子供のことを、よくよく見ていればいるほど、知ればしるほど、逆に「分からなくなってくる」部分も。
そのようなわけで、本日の育児日記のお題が、以下のようになったのでした。
子供をしっかり見れば見るほど謎は深まり育児の興味は増すばかり
と。
でも、「分からない」からこそ、興味が尽きなく面白いと感じ続けていられるのだと。
育児って、本当に奥が深いです。