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本日,2021年08月29日の晩婚パパの育児日記の主な演目は【失敗談|子供の早期教育のメリットとデメリットの誤解が作文に悪影響?!】です。
本日は外遊びをタップリ楽しんだ昨日とは一転,あおば(ウチの小3の子供)が家の中でいまのところちょっと苦手にしている「作文」に取り組みました。
本日もかな~り苦戦したのですが,とりあえずは1単元は「やり抜きました」!。
その頑張りを褒めると共に,親の僕らの以前の「失敗」を反省させられました。
その失敗とは《子供の早期教育のデメリット・弊害を「誤解」していた点》です。
失敗(?)の原因は早期教育と英才教育の違いの混同に?!
結論から言いますと,早期教育と英才教育に「違い」という確たる「要素」があるわけでは「ない」ようです。
というのも実際には,様々な情報ソースごとで《早期教育と英才教育》の捉え方にはある程度の「違い」のバリエーションが存在している からです。
《早期教育と英才教育》の間には確たる定義が「あるわけではない」というのが1つの結論でもあります。
イメージとしては,より大きな括りである《早期教育》の中の1つのパターンとして《英才教育》が含まれている,という感じが色濃く感じられました。
その「違い」を簡潔に表すと,こちらのような感じになると思います 。
- 《早期教育》は広くどんな子供をも対象とする
- 《英才教育》はある特定の分野に才能を持つ子供を対象とする
失敗談?の具体的な内容
以前(あおばが幼稚園入園の年齢の時期頃),本人が次のような内容を言い出したことがありました。
もっと幼い時期から《本好き》となるように育ててきたあおばは,期待通りに幼稚園に上がる頃にはもうスッカリ《大の本好き》になってくれていました。
ですので,当時既に「文字を読む」ほうについては,平仮名・カタカナはもちろん,ごく自然に知らぬ間にかなりの数の漢字も読めるようになっていました。
ただし,その「漢字も読めるようになっていた」というのはあくまでも結果論で,読めるようになるための練習や学習などは一切行っていませんでした。
ただただ,普通に《本の読み聞かせ》をしていただけなのでした。
ただし,分量的にはかなりの量の本の《読み聞かせ》をしていたとは思います。
とはいっても,それも全て「親子のふれあい・コミュニケーション」ないし「遊び」の延長線上で《親子で楽しんでいた》範疇でした。
ですので当時,《早期教育》をしているつもりは特にありませんでしたし,ましてや《英才教育》などとは考えてもいなかったのでした。
他方,「書く」ことに関しては,ちょっと構えてしまったのでした。
それは,「鉛筆とドリル」を使うというスタイルに “勉強” の香りを必要以上に意識し過ぎてしまったからなのかもしれません‥ 今思うに。
そのような感じで,当時はせっかく,あおば本人のほうから
と言い出してくれたのに,その環境を整えることを「敢えて」しないでしまったのでした。
すると‥ 暫くして「書く」ことに対する興味が静まり,逆に結局,小学校に入る少し前まで書く練習を始める機会が「なくなって」しまったのでした。
その間,1年半以上。
「いま」思うに,とても貴重な機会・時間を逸してしまった ように感じられなくもないのです。
その点をより具体的に確認してみたいと思います。
英才教育とは
『英才教育とは』と,Googleで検索をしてみると,次のような 【強調スニペット】 での表示がされますので,引用します。
幼児期,もしくは学童期に知能面で優れた才能と素質をもった児童に対してその才能を伸ばすための特別な教育をほどこすこと。 その起源は,古くは哲学者J.S. ミルに対して父親が乳幼児の時期から早期教育をほどこしたような家塾的なものに端を発している。
引用内容出典先:英才教育(読み)えいさいきょういく – コトバンク
やはり,《英才教育》という表現の場合は,特定の才能や素質を持った子供に対して,「特別な教育」を施すというニュアンスになることが確認できます。
先にふれたあおばが幼稚園入園の年齢の頃に,この『gifted/ギフテッド』とのタイトルが付いた映画のコトを知っていたわけではないのです 。
ですが,《英才教育が子供本人にとって幸せなことなの?》という疑問を感じていたのは確かでした。
早期教育とは
一方,『早期教育とは』と,Googleで検索をしてみると,こちらのサイトの情報が最上位に表示されました 。
引用内容出典先:早期教育とは?幼児教育との違いやメリット・デメリットも
こちらのサイトでは,「早期教育とは」との章での冒頭では次のような案内がありましたので,抜粋・引用します。
早期教育とは,未就学児(小学校入学前の児童)に対して,主に知識や技術の習得,向上を目的として行われる教育のことです。
幼児期は脳が発達しやすいため,早い段階で教育を開始することで,能力を高めやすいと言われています。なかには,0歳から早期教育を開始するケースもあるほどです。しかし,子どもへのデメリットも考えられていることから,早期教育には否定的な意見もあります。
こちらのサイトでは,子供の早期教育に対して「そのメリットとデメリットの双方」をシッカリと案内されていましたが,その内容は我が家の《実体験の感覚》と見事に合致するものでした。
【体験談】子供の早期教育のメリットとデメリットについて
【体験談】と書いた具体的な内容については,以下です。
- 早期教育のメリットを感じているのは「読む」点
- 早期教育のデメリットを感じているのは「書く」点
です,(といっても(2)の点は「したから」ではありません)。
1)の「読む」点については,先でも少しふれましたが,なんといってもあおばが《大の本好き》となってくれた点です。
その点は,子供本人の「楽しみ」がいつも身近にあるという,本人にとってとてもステキな状況につながっています。
コロナ禍の現況,その点はなお一層,とてもありがたく感じています。
なにせ,「本という大好きな友達」がいれば外に出掛けなくても何日でも家の中だけでも「楽しく過ごせる」のですから(笑)。
早期教育のメリットの鍵は「遊び」
その意味で,早期教育のメリットを享受できるのは,その教育の内容が「次のケースの場合」だと体験上で感じています 。
本当に好きなコト・興味があるコトであれば,例えそれが大人の目からみて「勉強や学習」的なコトであったとしても,子供本人とってそれは「遊び」と一緒と感じられるようです。
早期教育のデメリットの鍵は「親のエゴ」
一方,子供の早期教育のデメリットについては,ネタバレにならない範囲でいいますと,上掲の『 YouTube 』のリンクを張った映画に「その点」にふえたエピソードがあります。
(※上掲の動画を観ても「その点」は明確にはふれていませんが)
映画のケースをより正確に言えば,「早期教育」のデメリットなのではなく,「英才教育」のデメリットとなりますが。
いずれにせよ,デメリットとなるケースの鍵を握っているのは《親のエゴ》です。
《親のエゴ》で子供に無理強いをして早期教育をした場合には,後々そのデメリットが様々な形で「しっぺ返し」として現れるコトがある。
しかも,他ならぬ《子供の人生》に。
だからこそ,子供に《早期教育》をする場合,親は「よかれ」と思っているその気持ちが,本当に子供に対して向けられているのかを「常に自問自答」し続ける必要があるのだと思います。
それが決して「自分自身のエゴではないか?」どうかを。
早期教育のデメリットのもう1つの形「取り組まなかった」後悔
なお,我が家の場合のデメリットは,そのような件ではありません。
我が家のケースは,「その逆」だったのでした。
(先でもふれましたが)子供本人が
と言ってくれたのに,親のほうが勝手に尻込み(?)をする形で,その機会を整えずにいたのでした。
そして,その結果として「いま・現在」次のようなデメリットが生じてしまっている,と感じています 。
一方,ごく普通の実践量しか積んでいないため普通に得意な程度の「書く」コト。
そのあまりのアンバランス加減に,子供本人が「書く」コトに対して苦手な印象をちょっと持ってしまっている。
という感じの。
という後悔を(かなり苦い‥苦笑)。
おわりに
結局のところ,子供がまだ幼児期であった当時,《早期教育》に対して抱いていた『誤解』 が「いま」,ちょっとした《デメリット》として現れてしまっている,と感じるのです。
いまとなっては,「読む」の方の体験より,その点が『誤解』だったと,自信を持って言えます。
と。
だからこそ,「やってみたい!」と子供自身が感じていたタイミングを逃がしたことに後悔の念を感じている部分があるのが,正直なところです。
ですが,本日!
当のあおば本人は,親のその苦い思いを払拭してくれようとするかのごとく,苦労しながらもとってシッカリと「書くこと=作文」に向き合ってくれました。
とても時間を掛けながらも,自分の苦しい気持ちを理解し切れていない親に対する不満を涙ながらに訴えたりする時間もありつつも,課題に最後まで向き合い続けくれたのでした。
その『 GRIT 力 』に僕は心底感心をしたのでした。
スゴイね!あおば!!!
きっと,あおばなら,いまちょっと感じている苦労・悪影響(?)を逆に,「未来への力」に変えてしまうのだろうね。
子供の逞しさに,感謝です。