佐々木朗希投手「幻の2試合連続完全試合」大記録は高校時代の監督の育成方針の賜物?

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本日の晩婚パパの《コーチング的育児実録》の演題は【佐々木朗希投手「幻の2試合連続完全試合」大記録は高校時代の監督の育成方針の賜物?】です。

本日は、ロッテ・佐々木朗希ささきろうき投手が今月(2022年4月)・10日のオリックス戦で記録した「完全試合」に続き、史上初!となる「2試合連続完全試合」を目前に(8回まで達成・残りは僅か9回の1イニングのみ)降板となり、記録が「幻」となった17日の1件についてふれてみたいと思います。

ロッテ・井口資仁いぐちただひと監督が下したその判断に対しては、ネット・SNS上でも賛否両論が飛び交ったようです。

そして、だからこそ! 今回のこの1件・井口監督の判断は、記録を超えた「子育て・育児を含むコーチング・人材教育の記念碑的な英断」の1つとして記憶されて「欲しい」と感じたのでした。

【補足】当ブログは通常、我が家の小学4年生の子どもの「あおば」の育児の内容をベースとしてますが、本日は少しイレギュラーな趣きで(最後に当日の育児日記的な話しも少々)。

佐々木投手の件ゆえ!人材教育でのコーチングの重要性を実証

なぜ、ロッテ・井口監督は「史上初の大記録」を目前に、佐々木朗希投手の降板を決断したのでしょうか?

それは目先の “一勝” につながる記録より、佐々木投手の選手生命の “一生” を「重んじた結果」なのだと思われます。

「2試合連続の完全試合」は、確かに二度とそのチャンスが訪れることのない大記録かもしれません。

一方、記録としては不滅な記録を持つとしても、仮に故障・怪我により選手生命が短命に終わったとしたら、その記録を持つ選手のことを後々まで覚えている人はかなり少なくなるのではないでしょうか。

今回、10日の完全試合達成の試合と、17日の8回まで完全試合となっていた試合の「2試合」で達成した記録として、『2試合連続14K(奪三振)』という記録があります。

この『2試合連続14K』という記録を過去に達成している投手は、次の4例になります。

◆’52年 金田(国鉄)◆’57年 梶本隆(阪急)◆’90年 野茂(近鉄)◆’07年 ダルビッシュ(日本ハム)

ある程度、日本のプロ野球に関する知識がある人なら、この錚々そうそうたる顔ぶれに「お~!」と唸ること間違いなしだと思います。

井口監督らロッテの首脳陣たちは、佐々木朗希投手の「将来性」は、上記の大投手たちと「比肩しうる」と考えているのだと思います。

だからこそ、その「将来性」を重んじて、今回は「怪我・故障リスクの回避」という決断を下したのでしょう

と、ここまでの内容とコトの経緯を読んで、以下のように感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

ある読者さん
でも‥「故障リスクの回避」ということなら、何も佐々木選手に限らないことなのでは?

その意見はごもっともで、今回の1件「だけ」をみるのであれば、それは「その通り」ということになります。

ですが! こと佐々木朗希選手に関しては、今回のコト以前にも、大きな物議を醸した別の件が「高校時代」にあったのでした。

佐々木朗希選手の高校時代「國保監督」の決断の件

「佐々木朗希選手の高校時代の件」といえば、ある意味今回以上の “大きな物議” を醸した件であったので、ご存知の方も多いかとは思います。

簡単に振り返れば、佐々木選手が岩手県立大船渡高校のエースで4番バッターであった高校三年時の夏、甲子園出場をかけた県予選の「決勝戦」で同校の國保監督が佐々木選手の登板を回避した結果、チームが敗退し甲子園出場を逃してしまったという件でした。

登板回避の理由は、「彼の将来(=怪我・故障のリスク)を考えての決断」。

國保監督の決断が「苦渋の選択」であったことは想像するまでもないことであったわけですが、当時はその決断を「英断」とみる意見は、今回と比較すれば非常に少なかった状況でありました。

あのマットさんの父親でもあり日米で活躍した優れた投手であった桑田真澄氏や現役トップメジャーリーガーの一人であるダルビッシュ有投手などの例外を除いて。

スポーツファンにはお馴染みの『 Number web 』にある、当時の以下の記事の論調も、その決断を高く評価しつつも、疑問を呈していたように感じられます。

Number Web - ナンバー

大差のついた最終回、仲間たちがみんな立ち上がり、身を乗り出して声をからしている中で、佐々木朗希はひとりベンチ奥に腰を下ろ…

 
以下は、上述リンク記事からの抜粋・引用となります。

~前略~ 選手は監督の決断に納得していたのか。
そう聞かれて、国保監督はしばらく考えた。
「納得……、しているんですかねえ。うーん……、まだ、わからない。何年後になるかわからないですけど……」
おそらくは納得してもらえなくても、という覚悟があったのではないだろうか。~後略~

~前略~ もしも、彼らが自分ではどうすることもできない悔いを抱えたとしたら、それを払拭できるのは何年後のことになるのだろうか。佐々木がプロの世界で活躍するようになれば、それで払拭できるのだろうか。第三者がこの決断をどう評価するかなんてどうでもいい。他でもない彼らがいつか納得できる日がくればいいなと思う。

引用部分内の「もしも、彼らが自分では~」の部分の「彼ら」とは佐々木選手のチームメイトの選手たちのことを指していました。

彼ら元チームメイトの面々たちは、あの2019年の夏から約3年が経過した今・2022年4月10日の佐々木投手の「完全試合」および、同17日の「幻」の2試合連続完全試合を演じた姿をみて、あの日の國保監督の決断を「英断」として深く納得したのではないでしょうか。

仮にもし、あの2019年の夏に佐々木選手が無理をして県予選決勝で連投をし、その結果甲子園に出場して勝ち進み更に短期間での連投を続けていたとしたら‥ 先日の史上類をみない記録的な活躍は「できなかった」のかもしれません。

それはあくまでも「仮定の話」ではありますが、高校生という肉体がまだまだ発展途上の段階で過度な無理を強いる高校野球界の「甲子園至上主義」的な状況を鑑みると、そのリスクはかなりの程度「あった」と考えるのが妥当なのかと思います。

そう考えると、「いま」の佐々木朗希投手の勇姿があるのは、あの日の國保監督の「決断・英断があったから」と言っても過言ではないように感じられます。

なお、2019年の夏の県予選では、佐々木選手はかの決勝戦の4日前に194球、「前日」には129球をも投じていました(※当時の岩手の県予選は4回戦以降は5日間で4試合という大会日程)。
 
ということで、今後は伝説(?)となり得そうな予感さえもする國保監督の当時の「決断」ですが、その決断を可能としたのは何も國保監督の個人的な資質・人間性によるモノばかりではないようです。

というか、一人の人間の「想い」だけではさすがにあれだけの「決断」を下すことは難しかったのではないでしょうか。

あの決断がなさせた背景にあるものは? そしてある時を境に突如、「岩手県」という限られた地域から菊池雄星・大谷翔平・そして佐々木朗希といった「突出した才能」が続けざまに登場してきたのか?

その問いの答えとしては、「地域をあげてのコーチングの取り組み」があったようです。

その詳細は、こちらをご覧ください

Number Web - ナンバー

高校時代に155kmをマークした菊池雄星、160kmの大谷翔平だけではない。2019年には佐々木朗希が163kmを投げる…

なお、上記リンク記事にある「3つの理由」とは、具体的には以下の内容になります。

  1. 野球関係者「菊池時代で指導者の意識が変わった」
  2. プロ選手を多数輩出している”Kボール”とは?
  3. リトルでも“勝利至上主義”を排除した指導

ちなみに、理由の(2)にある “Kボール” とは次のようなモノです(上記リンク記事より引用)。

 Kボールとは中学で軟式野球をプレーしていた子供たちが、高校でスムーズに硬式野球に移行できるようにと2000年に開発されたボールのことで、素材は軟式、大きさや重さは硬式ボールと同じ。試合では硬式用のバットを使用する。岩手は全国でもKボールが盛んな地域で、2001年にリーグが創設され、今年20年の節目を迎えた。

 
さて、既にお気づきの方も多いかと思いますが、菊池雄星選手、大谷翔平選手、佐々木朗希選手の3人の内の2人(菊池&大谷の両選手)を「花巻東高校」で指導した監督は、同じ人物。

つまり、「その人」こそが、岩手県の多くの野球関係者・指導者の「意識を変えた」傑物(=とびぬけてすぐれた人物)で「ある」といえるのだと思います。

大谷翔平選手の高校時代の監督・佐々木洋さんの記事より

コーチングや人材教育に関心がある人なら、大谷翔平選手に多大な影響を与えた彼の高校時代の監督「佐々木洋」さんの名を目にしたことがない人はいないのではないでしょうか。

高校時代の大谷選手が活用していたことで高名となったあの・・「目標達成シート(マンダラチャート)」も、佐々木監督の指導の下で作成されたものでした。

また、大谷選手がプロの世界においても「二刀流」を目指し続けられたのも、彼が日ハムに入団することが決まった際に、佐々木監督が将来のメジャー入りも見据えて「投打の両方(=二刀流)をやらせて欲しい」と球団側に伝えたという提言があったからこそなのかもしれません。

その佐々木監督に、飛び抜けた才能=異才に対する「指導法・教育方針」を尋ねた記事がこちらになります

大谷翔平の指導者が捨てた「常識」才能をだめにしないロジックは

こちらの記事は、育児・子育てを含め「人材教育・コーチング」に少しでも関心がある人なら「必見」の内容です。

当該リンク先は「PDF」形式になっているので、是非ダウンロードしておくことをオススメしますが、ここでは、当記事の以下からの内容にもつながる核心的な部分を抜粋・引用しておきます。
 

~中略~ 特殊なボールを使った室内練習などで冬も野球ができるように工夫しました。こうした変化はうちだけではありません。近年、東北や北海道の高校が強くなっているのは指導法が変わったからです。裏を返せば、それまでは多くの才能が指導によってつぶされてきた、といえる。指導とは本当に恐ろしい。想像以上に『こうしたもんだ』という常識に支配されており、かつその常識はロジックや合理性を伴わないことが多いと感じています。

将来を見据えるコーチング⇔リスクも伴うティーチング

僕が人材教育の業務を通じて最も濃くコーチングに関わっていた10~15年ほど前はまだ一般的ではなかった「コーチング」という言葉も、今やスッカリ市民権を得たと感じられます。

その一方、単にマンツーマンでの指導をコーチングだと捉えていたり、褒めて伸ばすスタイルを=コーチングだと思い違いをされているケースも目立つような気もします。

そこで、かな~り大雑把ではありますが「コーチング」の特徴を、「ティーチング」との対比を含めてまとめると、次のように表すことができるかと考えます。

  • コーチングとは :導くこと・先導すること・背中を押してあげること
  • ティーチングとは:教えること・与えること・背中を見せること

また、コーチングには「観察する」「見守る」という側面が色濃く、教育法としては直接的な指導を取るより、教えらえる側の自主性を引き出すために「環境を整える」という方法を取ることが多くなります

他方、ティーチングというと、「ティーチャー=先生」というイメージをついつい連想してしまいがちかと思いますが、現在の小学校の先生方の指導法は旧来のそれとは全く異なっています。

その点は、小学生の子どもを持つ親御さんで学校の「授業参観」に参加したことがある方ならば、誰もが「自分たちの頃との違い」を痛切に感じているかと思います。

旧来型は「静かに座学」が基本でしたが、最新型は「ワイガヤの参加型」がメインです。
その意味で、いまや旧来の「ティーチング」は、少なくとも小学校ではほぼ行われて「いない」のではないかと思います。

そうなのです。学校の先生方は、新しい教育指導要領が求める「新しい指導方法」をよく勉強されています。

それと比較すると問題なのはむしろ、「家庭」のほうです。

理由はすごくシンプルで、我々「親の世代」は皆、基本的に学校や社会の中で「ティーチング」だけを受けて育ってきてしまっているからです。

ティーチング漬けで育ち、ティーチングしか知らなかった者が、全く異なる方法論である「コーチング」を学ぶ機会を持つことなくそれを実践することができるわけは「ない」という、ごく当たり前の話しなのです(苦笑)。

そして、お気づきのとおり「新しい考え方」は年を重ねていれば重ねているほど取り入れるのが困難になるため、基本的に年長者が実権・裁量権を握る構造となっている企業・会社組織においてこそ、その変革が遅々として進んで「いない」という現状となっているわけです。

そうした背景も含め、ティーチングには父権的・パターナリズム的な面が色濃く、コーチングはその反対で母権的というか「育む」というニュアンスが濃く感じられます。

この「育む」という姿勢は=「待つ」という側面が濃く、とても辛抱のいるモノでもあります

よく、男社会の中では、ティーチング的な言動に対して「怒る方も大変なんだ」という言い方をする人がいますが、それは単に感情を抑制することが「できていないだけ」のことです。

実際にやってみれば単純明快で、感情を抑制し、ジッと辛抱強く待っている・待ち続けるコトの方が何倍も大変です

先の佐々木朗希選手の高校時代の例でいえば、前日に129球も投げている相手に対し「皆のために決勝もお前が投げろ」と命じることのほうが、結局のところは遥かに楽なのです。
周囲から色々と批判を受けることを承知の上でそれでもなお、相手の将来のことを考え「決勝の登板は回避する」と決断するより遥かに。

同じく、2試合連続完全試合の可能性を「幻」とする決断を下したロッテの井口監督・首脳陣の判断もまた、続投の判断より遥かに難しい決断であり、「英断」と言ってよい行動であったと考えます。

「途中降板」に対しては、

ある野球好き
ありえん!

みたいな反応も、今回もまだ少ないながらあったようですが、それはきっと「他者を育む」という実経験をまだあまり積んだことのない人の反応であったのではないかと想像します。

目先のコトだけでなく、相手の将来のコトまで見据えていれば、コーチング的な「育む」観点を重んじるべきです。

他方、目の前の結果を重視し過ぎて短期的な結果ばかりを求め勝利至上主義的になってしまうと、相手の将来を食いつぶしてしまうリスクさえも伴う。

旧来のティーチング的な思考には、そうしたリスクが潜んでいることに、もっと注意を向けるべきではないかと思います。
 
ちなみに、佐々木選手の記録的な出来事とは全く次元の異なる、ものすご~く身近で日常的な例にはなりますが、我が家の子育て・育児におけるコーチングとティーチングの違いについての記事もありますので、もし、「身近な例で考えるとどうなの?」と思われる方がいらしたら、こちらの関連記事もぜひご覧ください

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もっと自てんしゃ上手くしたい
 
また、もう少し大きな観点になりますが、コーチングにおける「見守る」という姿勢の大切さについてふれた記事としては、以下のような関連記事もあります

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おわりに

ロッテ・佐々木朗希投手の完全試合と幻の2試合連続完全試合についての朝日小学生新聞の記事 画像出典先:朝日小学生新聞 2022年4月12日付け・同19日付け記事より

ロッテの佐々木朗希ささきろうき投手が史上初!となる「2試合連続完全試合」を目前に降板となり、記録が「幻」となった17日の同時刻頃、我が家は家族で日帰り温泉に行って、のんびりと「源泉100%かけ流し」の温泉を楽しんでいました(笑)。

で、温泉から出て休憩用のスペースへ行くと、一足先に上がっていたウチの新小学4年生の子どもが備え付けの新聞を読みながら待っていました。

直ぐ隣の広間ではテレビも点いていたのですが、大の本好きのウチの子どもの「あおば」は、テレビではなく大人向けの普通紙の新聞を読んでいました。

後で、

晩婚あおばパパ
どんな記事を読んでいたの?

と聞いたところ、

あおば
え?! う~ん色々と

と、そっけない返事が返ってきました(苦笑)。

でも、普段はスポーツに興味を示すことが少ないので、スポーツ欄は読んではいなかっただろうと思われます。

そんなウチの子どもも、上掲の朝日小学生新聞の佐々木投手の記事に関しては、珍しく(?)関心を示していました。

さすがに「完全試合!」となると、普段はあまりスポーツに興味がなくても「お~!」となるようでした(笑)。

ウチの子どもでさえそうなのですから、多くのスポーツ好きな子どもたちに対しては、今回の佐々木投手の完全試合と史上初に限りなく近づいた「幻」の2試合連続完全試合の大記録は、とても大きな「夢」を与えたコトであろうと感じます。

であるからこそ!

佐々木朗希投手が演じた「幻」の史上初2試合連続完全試合の降板劇を、記録を超えたコーチング・人材教育そして育児&子育ての1つの「記念碑・マイルストーン」として、長く語り継いでいく必要性が「ある」と感じたのでした。

そして同時に、この大記録が生まれた背景に、佐々木朗希投手の高校時代の恩師である國保監督の育成方針(=コーチング的観点)に基づいた「決断」があったこと も、忘れてはならない大きな「道標・マイルストーン」の1つだと感じます。

社会全体に関してはまだまだ「これから!」ではありますが‥ こと小学校に関しては「コーチング」の考え方がかなり取り入れられている昨今、よい学習環境に恵まれていてよかってね、あおば。

>【当劇場(ブログ)管理人より】

【当劇場(ブログ)管理人より】

当ブログ『あ劇場』は2020年11月に運営をスタート。
その前後2つの時期に、これまでの我が家の子育て・育児の方針や手法が「間違いでなかった!」と実証されたコトがありました。

★1つは塾なし家庭学習での『全国統一小学生テスト』の結果

★1つは「アトピーっ子」であった子どもの症状の劇的な改善

(1)の点は《子どもが本好きになるように育てる》の実践結果です。
小学3年生になって受験した『全国統一小学生テスト』の結果で「大正解!」との “お墨付き” を得ました。

参照記事はこちらより 通塾なし!全国統一小学生テスト春秋「国語偏差値70台」結果が示す親のできること

(2)の点は2020年8月頃にこれまでの様々な取り組みが一気に結実。アトピー性皮膚炎の症状が劇的に改善 しました。

参照記事はこちらより 続くアトピー性皮膚炎とのつき合い-ウィズコロナ生活と同様に

2つの成果は共に、小学生から取り組み始めても十分に効果があると思います。ぜひ当ブログの記事を参考にしていただきたいと思っています。

他方、より早く乳幼児の時期から取り組みを開始したのならば、より効果が高いとも思います。

皆さんのお知り合いに「乳幼児期のお子さんの親御さん」がいらしたらぜひ、我が家の成果をシェア・お知らせいただけたら幸いです。

当ブログの記事を最後までお読みいただき、ありがとうございました。